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ミュージカル『 黎明の瞳』(2019、韓国、初演)見て来たよ報告-韓国近現代史の苦悩を網羅的に背負う主人公の物語

 韓国の創作ミュージカル『黎明の瞳(여명의 눈동자)』が2019年3月1日~4月14日まで、Dキューブアートセンターにて上演されました。1990年代初めにMBCが制作した同名のドラマ(全36話)をミュージカル化した本作品*1。日本植民地期から朝鮮戦争までの韓国近現代史をガッツリ盛り込んだ激動にもほどがある長編ドラマを、いかに150分(インターミッション15分コミ!)に変換するのか。制作にあたってもそれなりの激動があった模様で、予定より少し遅れての開幕、すは、Dキューブの呪い*2か、と思った観客も少なくなかったのではないでしょうか。が、演出変更や費用の切りつめなどを経て(いいのか)、無事の上演となりました。いまさらですが、見て来たキャストはこちら!

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 ユン・ヨオク:キム・ジヒョン

チェ・デチ:パク・ミンソン(旧パク・ソンファンさん)

チャン・ハリム:イ・ギョンス

あらすじ(ネタバレ)

 物語は、智異山でヨオクが銃に倒れ、テチがそれをかきいだいて慟哭するところから始まる(しょっぱなから、ミンソンさんのテンション超高い、高すぎる!)。ヨオクはなぜ、この地で命を落とすことになったのでしょうか。
 1950年、スパイ活動を糾弾され民族反逆罪(?)に問われるヨオクの裁判シーン。かつて慰安婦として金を受け取り働いていた過去が暴露され、非難をうけます。彼女はなぜ慰安所にいたのか?ーー時はさかのぼって1944年、ヨオクは突然慰安所に連れ去られ、慰安婦として働かされていました。そしてそこで日本軍の朝鮮人兵士であったデチと出会い、絶望の中での唯一の希望をお互いに見出し、二人は恋に落ちます。やがて、隊が慰安婦たちを捨て戦線を移動することを知ったデチは、おなじ朝鮮人兵士ドンジンとその恋人と共に脱走を試みるのでした。しかし脱出に成功したのはドンジンとデチのみで、ドンジンの恋人は銃に撃たれ、ヨオクはその場にのこされます。そしてヨオクは、再び慰安所へと送られるのですが、ヨオクには守るものがありました。そう、デチとの子を妊娠していたのです。そんな彼女と次の戦場で出会ったのはハリムでした。ハリムは衛生兵で、慰安所での医療を担当していました。子どもを生みたいと懇願するヨオクにハリムは、この地獄のような日常で子どもなど!と反対します。しかしやがてヨオクの強い気持ちにまけ、彼女が性病にかかったことにして、客を採らないですむように協力するのでした。
 他方、ヨオクの父は上海臨時政府で独立運動に身をささげていました。父ユン・ホンチョルの下には、アメリカ側に就くことを画策するもの達、社会主義者など、さまざまな立場の人々が集まり、彼を象徴的存在として見方にひきいれることを企んでいました。ホンチョル自身は、主義主張など海のさざなみのようなものであり、民族という共同体こそが海なのである、という思想をもっていました。その後、戦場で捕虜になり(たぶん)アメリカの協力をしていたヨオクとハリムは、父をアメリカ側につかせようとする団体と連絡をとり、それを支援していた。他方共産主義者たちに救われたテチは、ホンチョルにヨオクが生きていること、慰安所で彼女と出会ったことを話し、婿として認められるのでした。しかしデチはホンチョル殺害の機会をうかがっていたのです。その任務を成功させたその時、ヨオクは父との再会を果たしたのでした(もうこのあたりでおなか一杯ですが、まだまだ前半戦)。
 1945年、開放の喜びもつかのま、朝鮮半島では米ソによる信託統治がはじまります。北をはなれ南労党の幹部となってヨオクを探しに来るテチ。しかしヨオクは息子とともに、ハリムの愛を受け入れようとしていました。しかし葛藤の末、結局ヨオクはデチを選ぶのでした(ほんと、やめとけばいいのに)。

 その後、三人は平和な生活を求め、ドンジンの故郷である済州島へと渡ります(フラグ立ってますよ!)。村人たちに受け入れられる三人。幸せなひと時。しかし家族のための時間はそう長くありませんでした。1947年、済州島では共産主義化を防ぐという目的で粛清が始まります。そう、四・三事件です。次第に兄弟が仲間が敵となり、血みどろの戦いが繰り広げられるようになるチェジュ。そんな中、デチは社会主義による平等と自由の実現を目指し蜂起します。しかしそれは、ますます人々の対立を深めるだけでした。やがて、共産主義者たちの命を確保することを条件に、アメリカ軍(とハリム)が島へ交渉にやってきます。デチはハリムにいざとなればヨオクと息子を頼むと言うのでした。しかし、ハリムの交渉もむなしく島の村が丸ごと焼かれる事件がおこり、ヨオクの息子は命を落としてしまいます。追われたデチはヨオクを残して(!)北へと向かうのでした。

 1950年の裁判。この時点でも、済州島であの時死んだ人々は共産主義者であったとされており、検察官たちはヨウクを糾弾します。しかし当時なくなったのはほとんどが普通の人たちでした。時代の目撃者として、ヨオクは涙します。そしてついにヨオクは、死刑を宣告されるのでした。ーーが、
 そんなさなかに朝鮮戦争が勃発(そういえば1950年!)。朝鮮人民軍がソウルを陥落させヨオクは死刑を逃れます(で、このあたりから字幕で説明があり、いきなりシーンが進みます。たぶん、ソウルを離れて暮らすヨオクは、デチがパルチザンとなったことを知り、彼を追って智異山へと足を踏み入れる・・)。

 智異山の雪をかきわけ進むヨオク。しかし銃弾に倒れ・・という最初のシーンが繰り返されます。ヨオクの死ののち、彼女を追ってきたデチは絶望し、やはり自らの頭を打ち抜き死に絶えるのでした。そして、(二人を追ってきていた)ハリムは、二人の死を見届け、だれも幸せになれなかった自分たちを哀悼し、黎明の瞳を望んで・・幕。

 ※とりあえず話が大きく進むとき、舞台奥のスクリーンに文字が流れるのですが、私の席からはえらく遠く、「字、字が読めん!もっとでかくはっきり書いてくれ!」とハヅキルーペを求める小泉孝太郎舘ひろしのように叫ばずにはおられませんでした。オペラグラスにズーム機能がないことに苦しみましたよ。というわけで、上記あらすじでは固有名詞や出来事解説等がかなり見落とされていると思われます。特に最後、めちゃ飛んでるし。

 (長くなりすぎたので、続きます)。

*1:ドラマは1975年から日刊スポーツに連載され、1981年に全10巻で発行されたキム・ソンジョンによる小説を原作とする

*2:これまでいくつかDキューブアートセンターで上演予定のミュージカルが上演取りやめになったことがある

韓国ミュージカル『HOPE-読まれない本と読まれない人生』(2019年、韓国、初演)観覧記(その2)―とりあえずあらすじを書き留めておく

上演期間もあとわずかとなりました!韓国の創作ミュージカル『HOPE-読まれない本と読まれない人生』が2019年3月28日~5月26日までドゥサンアートセンターにて上演中。老女ヒロインとイケメン(?)原稿擬人化たんが繰り広げる人生再生の物語。今更ながらで申し訳ございませんが、おおよそのあらすじを曖昧な記憶を手がかりに書きなぐっておく、観覧記その2をお届けいたします(千秋楽直前ですが・・!)。

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ミュージカル『HOPE』ポスターより

おおよそのあらすじ(ネタバレ)

 ※現在台本が発売されていますが、以下のあらすじは観劇後の記憶に基づいており、台本を参照できておりませんので、間違ってる部分があるかもしれません・・!

 イスラエル国立図書館と、有名作家ヨーゼフ・クラインの遺稿の所有をめぐって法廷で戦う老女エヴァホープの物語。30年ものあいだ、彼女はその原稿の正当な所有者であることを主張してきました。しかし法廷やメディアは彼女の主張を、偏狭な狂女のたわごとと一蹴する。彼女は、人類の遺産であり、ユダヤ人にとって民族の宝でもあるものを私有化しようとする強欲なわからずやだとされているのです。最終審判の日、ホープは裁判に出席するのを渋っています。それを励ます男が一人。そう、彼こそがホープホープの母マリーが守ってきた、クラインの遺稿K(擬人化たん)。彼はホープの住むテントのモノたちに別れを告げ、裁判所へとホープをいざなうのでした。
 ホープの持つ原稿とはいかなるものなのか?裁判で意地を張るホープが糾弾される中、その由来が明らかになっていきます。Kはそもそも、まだ世にも出ていなかったヨーゼフ・クラインの才能を見出した、小説家のベルトに保管されたものでした。クラインは祖国を持たないユダヤ人である自分の原稿など、なんの意味もないといいます。ベルトはその言葉を押し切ってクラインの作品の一部を出版するも、まったく売れませんでした。そのことでますます絶望を深くしたクラインは、死んでしまいます。自分の遺稿をすべて燃やしてほしいとの遺言を、ベルトに残して。ベルトはクラインを追い詰めたことを悔い、遺言のとおり原稿を燃やそうとするのですが、その光り輝く原稿の魅力を前に、どうしてもそれを燃やすことができませんでした。そして、チェコにドイツが攻め入ったというニュースを聞くや、原稿を救うために恋人のマリーに原稿を託し、パレスチナへと逃れることを求めます。状況が変化すれば、チェコへ再びマリーを呼び戻すと約束して(ここで、結婚するとは約束してくれないあたりが不幸の予感)。すでにホープという娘のいたマリーは、ホープと二人で国境を越えるバスに乗ります。バスがゆれる中、最もよい席には原稿をおいて。ホープは自分の座るべき席が、原稿に占められたことに傷つきます。そう、母にとって最も大事なモノは、自分ではなくこの原稿となったのだ、そう知らされた瞬間でした(と、思ったのはわたくしの解釈なのですが)。
 国境を越えるバスは途中ドイツ軍に見つかり、二人は強制労働のために収容所に送られます。そこでも原稿を必死で守る母。母にとって、帰る場所はただ、ベルトのいる場所でした。だからこそベルトに見つけてもらうために、原稿は何よりも大切なものだったのです。母にとっては、原稿は「祖国」であり「ベルト」であったのです(たぶん)。そんな母を守るため、ホープは原稿を共に守ります。収容所で原稿が見つかりそうになったとき、ホープ母はを助けるために密告さえしました。そしてなんとか二人は原稿を抱え、パレスチナにたどりついたのでした。やがて、第二次世界大戦ががおわりベルトに会える日がやってきました。しかし、自分の子供を失った悲しみと、日常のためにクラインの原稿のことをあきらめてしまっていたベルトは、原稿をもはや必要とはしておらず、マリーとの再会にもさほど気のりしていませんでした。マリーは原稿を守るためにどれだけのモノを犠牲にしたか!とベルトにすがりつきます。しかし彼は妻がいるのだと冷たくマリーを突き放すのでした(おいおい!)。列車に飛び込み、自殺をはかろうとするマリー。ベルトはそんなマリーを助け、彼女に原稿を「持ち続けること」を許可するのでした(ここら辺、『HOPE』の暗鬱祭りです。しかしここからも、祭りは続くよどこまでも)。
 帰る場所を失ったマリー。テントの中で原稿だけを抱えて生きる母から逃れたいと考えるホープ。そんなホープが、ドイツからの非難の際に両親と妹を失ったというカデルと出会う。ホープは彼との生活を夢見て、自分が所有するヨーゼフ・クラインの遺稿の話をしてしまいます。彼はオークションでそれを売ろうと持ち掛け、一部の原稿がドイツ人に買い取られることになりました。あの、母が守り通そうとした相手であるドイツ人に売られた原稿、ホープはその皮肉に苦しみながらも、カデルとの未来に希望をつなぎます。しかしカデルは一人で金をもちにげしようとしていました。ホープが一緒だと、自由になるにはこの金は少なすぎる、と。彼女を見るたび、ドイツ人からこの金を得たことを思い出すのだと。カデルはホープに、決断は自分がするものだと言い、立ち去ってしまうのでした(まじかよー!どんだけー、と思う部分です・・つらい。しかしこの、「決断をするのは自分自身であれ」という部分はこの作品の重要ポイントです)。絶望の闇へ突き落されるホープ。ついに彼女は母と原稿を捨て、テントから逃げ出す決意をします。しかし20年後、母が亡くなり残された原稿のもとに、ホープは舞い戻って来てしまいます。母の残したコートをきて、ああ、暖かい、とつぶやいて母同様、テントの椅子に自らの人生をしばりつけるのでした。そんなホープに、Kは、自らの人生を閉じ込め、原稿同様に誰にも読まれないものにするべきではないと諭します。むしろ原稿を手放すことで、自分の人生を取り戻すことをうながすのでした。

 誰にも省みられなかった人生、それはマリーの人生でもありました。ベルトは死の間際、マリーに言及せず、原稿所有者としてそれをイスラエル図書館に渡すと遺言していました。金を持ち逃げしたのはカデルですが、オークションに原稿を掛けた書類には、ホープの署名が使われていました。マリーとホープは「原稿を守る」ということにすべてをかけ、またそれにすべてをかけるしかないほどに、自らの人生を奪われてきたのです。狂女の人生には誰も関心を払わない。原稿だけが自分の人生に意味を与えるのだと、ホープは原稿に固執するのでした。

 しかし、原稿がなくても読むべき人生はある。裁判を決心したのも、自分の人生が「読まれる」べきものであると、人々に示したかったからではないのか?とKが問いかけます。Kに励まされ、ホープはやがて決心します。もう、帰る場所のない雪原に立ちすくむ旅人ではない。自分の人生をとりもどすべく、原稿を手放すのでした―――で、幕。

否定される人生、その中でいかに自分に意味を見出すか?

ミュージカル『HOPE』は、あまりに過酷な体験(強制収容所からの生還、難民としての生活、男性からの裏切り(母子二代にわたる・・))によって自らのアイデンティティのよりどころを見失った親子が、守るべきモノとしての遺稿に自分たちの存在意義のすべてを見出してしまう物語です。原稿を守る、というそのことに集中すれば、自分たちの存在意義がぎりぎりに保たれる。自己を守るために、何かを「守る」必要がある人たちなのです。しかしそれは、自分の人生を生きることではないし、守られているモノの人生も閉ざしてしまうものではないか?そう問いかけつつも、そこから抜け出すことの困難さを描きます。歴史的な悲劇として描かれるこのメッセージは、母娘関係における自尊感情の形成が、社会的要因によっていかに困難におかれるのか?という現代的問題にもつながるように読め、ずっしり見ごたえのあるミュージカルとなっておりました。しかしこれ、ストレートプレイだったら苦しすぎたと思う・・!

韓国ミュージカル『 HOPE-読まれない本と読まれない人生』(2019年、韓国、初演)見て来たよ―フランツ・カフカの遺稿をめぐる、実際の裁判を基に書かれたミュージカル

韓国の創作ミュージカル『HOPE-読まれない本と読まれない人生』が2019年3月28日~5月26日までドゥサンアートセンターにて上演中。カフカの遺稿の所有権をめぐりイスラエル図書館とその保管者の間で実際に起こった係争事件をヒントに書かれた本作品。過酷な時代の経験を経ていかに自分の人生に意味を見出すかを問う、老女ヒロインとイケメン(?)原稿擬人化たんが繰り広げる再生の物語。見て来たキャストはこちら!

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 ホープ:チャ・ジヨン

K:チャン・ジフ

マリー:イ・ハナ

過去のホープ:チャ・エリヤ

ベルト:キム・スンテク

カデル:イ・スンホン

実在の事件に着想を得た物語

本作品は2009年から16年まで、フランツ・カフカの遺稿の所有権をめぐって、イスラエル国立図書館とその保管者との間で争われた裁判を土台に書かれています。

(裁判の経緯をまとめた記事は以下を参照)

www.afpbb.comカフカが友人ブロート氏に託した、原稿を焼却してほしいという遺言。その言葉を実行できず、原稿を残したこと。残された原稿はブロート氏の秘書のホフェ氏の手に渡り、そしてその娘が「贈り物」としてそれを受け取り保管していたという点。ホフェ氏らはその一部を売却して利益を得たことがあった点。そしてブロート氏は、遺言として原稿の公共機関への寄贈を指示していたこと。ミュージカルは、一見保管者のエゴがこの裁判を引き起こしたかのように見えるこれらの事実に、別の解釈を与えていきます。「贈り物」として原稿を受け取ったという彼女らの主張に注目しつつ、お金のためという単純でわかりやすく見える理由を超えた「あるモノへの執着」の背景へと想像をひろげていく。カフカの遺稿は文化財であり人類の財産であるべきという「今現在においては至極まっとう」に聞こえる主張が、あまりに過酷な歴史的出来事によって、自らの存在価値を見出す事が困難だった人々には、時として人生を再度奪われることに等しく感じられるのでは?という問いは、今この時点の「正義」がどれだけの人を傷つける可能性を持っているのかに目を開かせてくれるのです。と同時に、それでも人は、いかなるトラウマを抱えていても、今を生きなければならないのだとメッセージする。だからこそ、こんなに重いもろもろを引き継ぎつつも、最後には救いと希望がやってくる(ようなきがする)作品に仕上がっているのだと思います。

『HOPE』はきっと異世界に転生しない

とりあえずミュージカル『HOPE』は、これでもかという暗闇が続き、最後に絶望に突き落とされた後に、ホントにぎりっつぎりのラインでかすかな希望がやって来る、という作品なので、物語的には結構ストレスフルでツライ作品だといえましょう。ある記事が、近年若者に好まれる小説のジャンルとして「異世界転生」が受ける理由を考察しているのですが、これらのジャンルでは「読者にストレスを与えない」ことが至上命題とされているとしています。

gendai.ismedia.jp

こうした「若者」(というカテゴリーもえらくざっくりしたものだと思いますが)をとりまく日本の物語環境のマ反対にあるのが『HOPE』という作品かと思われる。しかも、ダーク犯罪系のように非日常であるがゆえに、観客が自分をそこで呈示される「現実」の外部に置くことができるわけでもなく、歴史の連続性の中に位置付けられる「現実感」と「逃れられないストレス」、そして「無力感」が襲ってくるのです。ひえー。

でもミュージカル『HOPE』には希望がある

と、ここまで読まれた方は『HOPE』あかんやん!重いんか、暗いんか、やっぱりやめよう。と思われたかもしれません(関西弁でないとしても)。ちょっとお待ちくださいませ。そう、これだけツライ物語を設定しているにもかかわらず、観客はこの作品を見続けることができる、と言う点に注目していただきたい。これ、重要なのは原稿の擬人化キャラであるKの存在ではなかろうか。この「擬人化たん」Kは、ホープの日常に寄り添い、その過去の回想をいつも見守り、彼女の戦いを応援してくれます。ホープの住むテントの中の「机たん」なんかともお友達。め、めちゃなごみます。Kはホープにとってのイマジナリー・フレンドであり、彼女の精神をぎりぎり支えている。とともに、観客の精神も支えてくれるのです。Kのはげまし、癒しによって、観客はホープとともになんとか裁判を乗り越え、過去の回想を共にし、そして最後に彼のもとを離れ、ホープとともに希望を抱けるようになるのです。とはいえ、私ならKにずっと一緒にいてほしいけどな!とも思ってしまいましたが。

(終わらなかったので、続く!)