韓国ミュージカル☆ライフ

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ミュージカル『ヴォイツェック・イン・ザ・ダーク(보이체크 인 더 다크 )』(2023年、韓国、初演)見てきたよー社会批判が闇の中へ・・

ミュージカル『ヴォイツェック・イン・ザ・ダーク(보이체크 인 더 더크 )』は2023年2月7日~4月30日までリンクアートセンターにて上演中。ドイツのゲオルグビューヒナーによる未完の戯曲『ヴォイツェック(Woyzeck)』を再解釈して作られた韓国の創作ミュージカルでございます。作家が「原作の持つ社会批判的なメッセージを同時代に通じるものにしようとした」と言っている本作品。果たしてその意図は果たされたのでしょうか。というわけで、見てきたのはこのキャスト。

ヴォイツェック:カン・ジョンウ

マリー:キム・イフ

カール:ジョ・ヒョヌ

大尉:ジョン・ホジュン

そもそも戯曲『ヴォイツェック(Woyzeck)』とは

Wiki情報によれば、『ヴォイツェック(Woyzeck)』は1835年頃にゲオルグビューヒナーによって執筆された戯曲で、実際に1821年にライプチヒでおこった軍人による情婦殺人事件をもとに、下級軍人が情婦を刺殺する場面を描いた断片的な草稿なのだとか。彼の死後、編集者のフランツォースがこれを解読、作品集として日の目を見たということです。

戯曲の上演も盛んで、また何度も映画化されているのが『ヴォイツェック』。2003年にはロバート・ウィルソンとトム・ウェイツによる「オペラ劇」が日本で初演されている様子です(記事)。さらに2011年には、福島の事故処理にあたる労働者とヴォイツェックを重ねる『WOYZECK version FUKUSHIMA』(YouTube)が制作されたり、2013年に白石晃さんによって『音楽劇 ヴォイツェック』が上演されたりもしています。では、韓国の制作スタッフたちはこの物語をいかなるミュージカルに仕立て上げたのでしょうか??期待は高まるじゃないですか。

が、劇場はガラッガラ・・でした!なんてこったい。これから見る人は当日券で大丈夫そうですよ・・。

豪華創作陣とキャストなんだけど!

本作品の制作陣とキャストはめちゃ豪華。そもそも音楽が『ブルーレイン』や『ルードウィック』のホ・スヒョン。演出は『天使について』『海賊』『愛の不時着』を手掛けたパク・ジヘ・・。日本でも上演され、人気を得た韓国ミュージカルの制作陣が参加しておられます。作家は福島原発事故後の失われた日常への郷愁を描く演劇『明日海へ』や、本年1月まで上演されていた『青い灰色の夜』のパク・ユネ。このメンバー、作品歴を聞くだけで、韓ミュオタなら期待は膨らむはず。

そして確かに、音楽と演出はカッコよかった。俳優さんたちの熱演にも心ゆさぶられましたとも。というか、それゆえなんとか90分を耐え抜けたのではなかろうかと。トイレを我慢しているわけでもないのに90分が長いなんて。音楽が良くて、舞台もうまくまとまっているにもかかわらず、長く感じるとはこれいかに。

批判する「社会」はどこに

ミュージカルの開幕前に書かれた「文学ニュース」の記事タイトルが「貧しい兵士とキャバレー歌手の悲劇的な愛の物語」(記事)なのですが。まさに本作品の焦点はここにあり、という内容でした。悲劇的愛ももちろんなのですが、「貧しさ」はめちゃめちゃフォーカスされていて、とりあえず貧乏・ダメ・ゼッタイ、みたいなイメージが脳内でぐるぐるする。

 飲み屋で歌うマリーに花一本遅れない貧しいヴォイツェックが、種を手に入れ花を育てようとするとか、二人の間に生まれた子どもの病院代を稼ぐためにヴォイツェックは山へ芝刈りに・・じゃなく、見るからに怪しいマッドサイエンティスト的医者の生体実験に協力することにし、妻となったマリーは再び飲み屋で歌を歌うことを選択するとか。貧しさエピソード祭りが繰り広げられます。

 とりあえず貧乏によって不幸のどん底にある二人なのですが、底にいる割には地に足がついていなくて、ふわふわしているところがある。それを純粋さといわれてロマンスの根拠にされても、どこか納得がいきません。帰る途中「貧乏なカップルは子どもを作ったらだめだと思った」みたいな感想を友達と交わしている方がいらっしゃいましたが、ほんまそれな!韓国ますます少子化進んじゃうよ(その結論でいいのか問題)。てかここが同時代に通じる社会批評なのか?多分違うだろ、ともやもやしたのでございます。こうした感想に突き当たってしまうのは、ヴォイツェックのマリーへの不信の理由が、酒場で歌うことを選択したからと表現されていて、歌=身を売るコミ?大尉からのオファーは、コール?みたいな当たりがぼやかされているからでしょうか。お金ないならみんなで働かなきゃだろ感がどうしてもぬぐえない。

 おそらく、本来は、こうしたふわふわを凌駕するものとして、ヴォイツェックの狂気が描かれるべきなのかもしれません。しかし本作品では、ヴォイツェックの狂気は、「実験の結果」で、いまいち時代の抑圧や軍隊内部での暴力とのつながりが(これまたぼんやりとしか)感じられなかった。

 あんまり説明しすぎたらそれも作品のスピード感を損なうし、トリガーになりそうな要素ばっかりになってもさらに見る方がしんどいだろうという配慮があるのだとは思いますが。批判すべき社会がどこにあるのか、「いくら目を開けても、世界は闇の中」のキャッチコピー通り、世界(社会)はどこにも見えてこなかったのです。

 でもまあ観客は、俳優さんたちの熱量で、最後みんな鼻水すすっちゃうんですけどね(ものすごい力業やで)。