韓国ミュージカル☆ライフ

韓国ミュージカルを楽しみつくすブログ

ミュージカル『朴烈』(配信)見てみたよーー文子のキャラが最強すぎる

韓国創作ミュージカル『朴烈』は2021年7月14日~9月18日まで、大学路ドリームアートセンター4館にて上演されました。この録画中継がSTAGE Xにて10月25日、11月1日、15日、22日に行われます。映画『金子文子と朴烈』(イ・ジュニク監督、2017年)を原作とする本ミュージカル。見てみた配信キャストはこちら!

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朴烈:キム・ジェボム

文子:イ・ジョンファ

リュージ:クォン・ヨングク

ストーリーは映画ダイジェスト

 さて、映画が原作というふれこみでしたが、それはもう、まさに映画のダイジェスト的ストーリでございました。内容は金子文子と朴烈の出会いから、裁判、収監をへて文子の死、そして戦後釈放された朴烈による、文子への回想で物語は幕を閉じます。狂言回しとして検察官のリュージ(立松懐清?)が登場し、朴烈と文子の事件を自分のかいた筋書き通りの「芝居」として成立させようともくろみます。3人で展開する大学路らしいミュージカルで、裁判における二人のアナーキストっぷりを大々的に歌い上げていき(あーなーきーすとー!って叫ぶ歌がある)、文子と朴烈は自分自身が自由であることにこだわるキャラクターとして描かれます。ふたりは国籍や階層に拘泥することで支配を呼び寄せてしまう社会構造に批判的なので、いわゆる植民地期の歴史を扱う韓国のエンターテインメントの文法から図らずもずれていってしまうところが面白い。

ミュージカル『文子』でもよくない?

 とはいえ本ミュージカル、映画のストーリーを基本にしているだけに、朴烈というよりは文子と朴烈の物語になってしまっています。さらにえば、映画版でも朴烈の印象が薄れるくらい文子のキャラが立っていたように、ミュージカルにおいてもその傾向は強くでていました。というか、キャラ強すぎやろ、文子よ。

 朴烈という人は、ミュージカル内でリュージに転向を迫られ、それで何が達成できるというんだ?みたいなカッコいいことを言っていますが、実際はもうちょっと微妙な人生を生き、戦後もなかなか波乱に富んでいるようです。というわけで、どうせならもっと本気の朴烈の人生を見てみたい。そんな風におもわされた作品でございました。あるいはいっそミュージカル『文子』がみたいかな。

 

 

 

ミュージカル『メイサの歌(메이사의 노래)』(配信)見てみたよー希望の歌を胸に光り輝く君へ

韓国陸軍が主催・制作する、いわゆる軍ミュージカル『メイサの歌』が2021年10月15日から17日までオンラインで有料配信されました。本公演は10月22日から11月27日まで、ソウルオリンピック公園ウリ金融アートホールにて上演予定でございます。作・演出イ・ジナ、音楽総監督キム・ムンジョン、作曲Woody Parkという韓ミュファンにもうれしい制作陣が、陸・海・空軍と海兵隊所属者対象に行った公開オーディションをへてえらばれたメンバーで送る本作品!韓国へとべない昨今、配信でみるしかない!視聴したメンバーはこちら。

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ラマン:パク・チャニョル

ヨン・ジュンソク:キム・ミョンス

ユン・ソノ:ムン・ヨンソク

司令官:Brad Little

ファハド:キム・ジュアン

K-PPOオーディションと戦地の記憶が交錯する

『メイサの歌』はイ・ジナ作品風味がきいた陸軍ミュージカルだな!というのが最初に浮かび、そして最後にのこったのでありました(最後の歌が「赤い夕焼け」だし)。

物語は架空の国である戦地カムルに育った少年ラマンと、国連軍としてカムルを訪れた韓国陸軍の兵士たちの交流パートと、青年になったラマンがK-POPアイドルになるためにオーディション番組に出演するパートという二つの時間、へだたった空間をまじえて進んでいくのですが。これ、イ・ジナ先生のめちゃ得意なやつやん!とおもったわけです。というか、私の好きな演出がたくさん見られるのでは、と抱いた期待にめちゃめちゃ応えてもらえるミュージカルでした。

たとえば、彼女が演出をした『西便制』や『光化門恋歌』などの、過去と現在が交錯する物語を描く作品では、舞台の奥行を十分につかいながら、重層的にシーンを重ねて描いていく演出がとても美しい。いくつものシーンがかすかに透けて見える、レイヤー化されたシーンを通して、現在と過去のつながり、過去がたえまなく現在からよびおこされていくという、人間の記憶のありようが可視化されていくのです。今回の『メイサの歌』も、K-POPオーディションを受けるラマンが、子どもの頃の記憶にある故郷へと意識を飛ばす瞬間、舞台の奥から子どもの頃の自分の姿が駆け出してきて、前後を入れ替えながら場面が転換していくシーン、しょっぱなからこの演出が堪能でき、観客はラマンの心とともにカムルへと旅立ったと思われる。

陸軍ミュージカルという枠組みを問う?

 さて、最近公開された陸軍ミュージカルは『新興武官学校』や『帰還』といった歴史モノであったこともあり、祖国や愛する人のために戦うといったメッセージが強く押し出され、軍隊の意義とむすびつけられていくような部分が少なくありませんでした。もちろんこうしたメッセージをはじけるエンターテイメント性でもって観客を違う世界線に連れて行ってくれたあたり、さすがのイ・フィジュン/パク・ジョンアだったわけですが。ともあれ、どのような物語や音楽をつくるにせよ演出をするにせよ、軍がつくるミュージカルという枠組みがあるなかで、エンターテインメントをいかに位置付けるののか(単なるプロパガンダにならないか)は、アーティストとして考えるべきポイントなのは確かでしょう。『メイサの歌』は、芸術の力がどのような境遇の人にも、どんな状況にあっても必要なのだというメッセージを打ち出すものですが、もちろんその力はだれかが「利用」することもできる。本作品の中では登場人物に、歌や踊りは個々人にとっての希望になったとしても、それが権力者たちに利用される可能性もあるのでは?と問わせるなど、陸軍ミュージカルという枠組み自体を意識させるような瞬間も垣間見られたように思います。こういう部分に、K-エンタメと政治の緊張関係、政治的であることを単に否定するだけで、逆に取り込まれていても無関心でいてしまうような状態とは真逆の、丁々発止の関係性が垣間見える様でもありました。

陸軍ミュージカルはどこへいくのかな

 軍ミュージカルはこれまでも、作るときに「〇〇記念!」みたいなスローガンをかかげてきたわけですが(一応そういう名目がいるんでしょうね・・)。今回は国連加入30周年記念!という位置づけで、だからこそUN軍の話だったのでありましょう。としたら今後は何記念で作られる可能性があるのか、気になるところ。

そもそも軍ミュージカルの歴史はこちらの記事に詳しいのですが、2008年に制作された『マイン(MINE)』で、非武装地帯で地雷に地雷爆発事故にあい、足を失った実在の中佐の物語をもとにした作品でした。その後、韓国ミュージカル協会の協力をえて制作されるようになり、2010年に『生命の航海』、2013年『プロミス』、2018年『新興武官学校』、2020年『帰還』と続き、今回の『メイサの歌』へとつながるのですが。果たして次回、いつぐらいにどんなテーマで(どんな記念?で)制作されることになるのか。なんだかんだいいながら、この瞬間しか成立しえない出演者だからこそ、ついつい見てしまう軍ミュージカル。次回作がいまから楽しみでもあります。

 

 

ミュージカル『メアリー・シェリー』(配信)みてみたよ!―『フランケンシュタイン』に飛躍する瞬間を描く?

ミュージカル『メアリー・シェリー』が2021年8月7日~10月31日まで、KT&G サンサンマダンテチアートホールにて、1幕100分で上演中。これが2021年9月10日、14日~16日にかけてネイバーTVにて有料配信されました。ミュージカル『フランケンシュタイン』の作曲を担当したイ・ソンジュンの音楽、『わたしとナターシャと白い驢馬』のパク・ヘリムの脚本で、『ママ・ドント・クライ』をはじめ『影を売った男』『HOPE』を手掛けたオルピナ演出とあって、期待はむくむく育っておりました、が!ともあれ見た配信キャストはこちら!

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メアリー:チェ・ヨヌ

ポリドリ:ソン・ウォングン

パーシー:キ・セジュン

バイロン:アン・チャンヨン

クレア:チョン・ガヒ

ミュージカル『バイロン』状態な前半戦

本作品はメアリー・シェリーが小説『フランケンシュタイン』の着想をえてから、書籍として世に送り出すまでの物語でございます。舞台はバイロンの別荘、メアリーと夫のパーシー、義妹のクレア、のちに『吸血鬼』を書くポリドリとバイロンのウェイウェイした感じの宴会から始まるのですが、メアリーは子どもをなくした悲しみから鬱々状態だし、バイロンは薬中だし、ポリドリとバイロン、パーシーとクレアの関係はなんだかおもわせぶりにえがかれています。特にミュージカルの前半50分くらいは、バイロンがラリラリして歌い上げまくり、ポリドリに流し目する感じでカラんではパワハラし、その間にメアリーとパーシーが駆け落ちに至った理由が挿入されるという、なんか行き詰まり感ただようまま誰に注目したらいいのかよくわかんないよ!てか、こりゃミュージカル『バイロン』か?みたいな時間がながれるのでございます。

おそらくバイロンインパクトに目くらまされ、ほかの人物の言動がほぼ頭に入ってこない感があるのですが、ここで(多分)大事なのは、メアリーとポリドリが自分の中の空虚さや行き場のない欲望を自覚し、それを持て余す、という部分です。これは後半において、彼らが自覚する自分の中の「怪物」と名付けられるもやもやなのですが、メアリーにはパーシーとの関係において、ポリドリにはバイロンとの関係においてそれが芽生える様子が描かれます。各関係性においてそのアイデンティティが不安にさらされること、死と生といった相反する二つの衝動から生まれるものが「怪物」なのだという話につながっていく、物語の主軸なのですが・・。もう、バイロンのウェイが気になっていまいちそっちが記憶にのこらない。後半にめっちゃ重要だったんでは?あのキーワード、みたいな感じで後悔する展開です。バイロンよ・・。落ち着け・・(とおもっている私が落ち着くべき?)。

フランケンシュタイン博士としてのパーシー

さて、前半は不倫男としてクズぶりを発揮し、後半は妻の手柄を自分のものにする剽窃野郎として描かれるトホホなメアリーの夫、パーシー・シェリー。後半でメアリーが自分の中の不穏なものに「怪物」という名を与えたのち、パーシーの自分勝手さや無神経な態度への反発として「怪物」に相対するビクター・フランケンシュタイン博士を生み出していきます。これも一つの見どころになる・・はずなのですが。が。前半のパーシーの描き方が、単なるスレギ状態なので、いまいちビクターに転生できない感がただよってしまいます。韓国ミュージカルファンたちは、韓国ミュージカルの『フランケンシュタイン』におけるビクターを知ってしまっているわけですから、あのビクターにリンクする博士をどうしても求めてしまう、というのもあるでしょう(まあ、あのビクターも、考えてみればたいがいスレギですが)。なんかソン・ウォングンがいい感じで「怪物」ってるのに!もう一押しこないかね!と思わずにはいられません。

どっちのわくわくを書くのか

さて、メアリーの義妹で、バイロンの愛人であったクレアはまあまあ重要な役どころだと思うのですが、いまいちパッとしません。パーシーとメアリーの関係もぎすぎすしている。後半にちらっとクレアとメアリーの信頼関係、メアリーと母の関係が描かれるのですが、あまりにも唐突な感じがてしまいます。バイロンとポリドリの怪しげな香りはかなり描きこんであるのに、女性たちの関係性は結構薄い。とはいえ、バイロンとポリドリの話が後半で深められるかというと、そうでもない。なので、どっちにしてもわくわく感がない・・食い足りない…となってしまうのでした。どっちかの要素を大盛でお願いいたします!

とはいえ、音楽は『フランケンシュタイン』風味の部分があったり、ライトの使い方、影をうまくつかった演出など、めちゃクオリティの高い作品でもありました。つめこみ上等!みたいな前半の展開をもうすこし解きほぐし、後半の内容をメインに展開してくれたらもっと面白いに違いない、という予感もし、再演以降の変化に期待したいと思うのでありました。

てか、そもそも『フランケンシュタイン』や『吸血鬼』の着想はバイロンの別荘でおこなった百物語みたいなところで生まれた、と伝え聞くのですが、あの人たち、みんなで怪談とかしてないの、なんで?