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韓国ミュージカル『HOPE-読まれない本と読まれない人生』(2019年、韓国、初演)観覧記(その2)―とりあえずあらすじを書き留めておく

上演期間もあとわずかとなりました!韓国の創作ミュージカル『HOPE-読まれない本と読まれない人生』が2019年3月28日~5月26日までドゥサンアートセンターにて上演中。老女ヒロインとイケメン(?)原稿擬人化たんが繰り広げる人生再生の物語。今更ながらで申し訳ございませんが、おおよそのあらすじを曖昧な記憶を手がかりに書きなぐっておく、観覧記その2をお届けいたします(千秋楽直前ですが・・!)。

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ミュージカル『HOPE』ポスターより

おおよそのあらすじ(ネタバレ)

 ※現在台本が発売されていますが、以下のあらすじは観劇後の記憶に基づいており、台本を参照できておりませんので、間違ってる部分があるかもしれません・・!

 イスラエル国立図書館と、有名作家ヨーゼフ・クラインの遺稿の所有をめぐって法廷で戦う老女エヴァホープの物語。30年ものあいだ、彼女はその原稿の正当な所有者であることを主張してきました。しかし法廷やメディアは彼女の主張を、偏狭な狂女のたわごとと一蹴する。彼女は、人類の遺産であり、ユダヤ人にとって民族の宝でもあるものを私有化しようとする強欲なわからずやだとされているのです。最終審判の日、ホープは裁判に出席するのを渋っています。それを励ます男が一人。そう、彼こそがホープホープの母マリーが守ってきた、クラインの遺稿K(擬人化たん)。彼はホープの住むテントのモノたちに別れを告げ、裁判所へとホープをいざなうのでした。
 ホープの持つ原稿とはいかなるものなのか?裁判で意地を張るホープが糾弾される中、その由来が明らかになっていきます。Kはそもそも、まだ世にも出ていなかったヨーゼフ・クラインの才能を見出した、小説家のベルトに保管されたものでした。クラインは祖国を持たないユダヤ人である自分の原稿など、なんの意味もないといいます。ベルトはその言葉を押し切ってクラインの作品の一部を出版するも、まったく売れませんでした。そのことでますます絶望を深くしたクラインは、死んでしまいます。自分の遺稿をすべて燃やしてほしいとの遺言を、ベルトに残して。ベルトはクラインを追い詰めたことを悔い、遺言のとおり原稿を燃やそうとするのですが、その光り輝く原稿の魅力を前に、どうしてもそれを燃やすことができませんでした。そして、チェコにドイツが攻め入ったというニュースを聞くや、原稿を救うために恋人のマリーに原稿を託し、パレスチナへと逃れることを求めます。状況が変化すれば、チェコへ再びマリーを呼び戻すと約束して(ここで、結婚するとは約束してくれないあたりが不幸の予感)。すでにホープという娘のいたマリーは、ホープと二人で国境を越えるバスに乗ります。バスがゆれる中、最もよい席には原稿をおいて。ホープは自分の座るべき席が、原稿に占められたことに傷つきます。そう、母にとって最も大事なモノは、自分ではなくこの原稿となったのだ、そう知らされた瞬間でした(と、思ったのはわたくしの解釈なのですが)。
 国境を越えるバスは途中ドイツ軍に見つかり、二人は強制労働のために収容所に送られます。そこでも原稿を必死で守る母。母にとって、帰る場所はただ、ベルトのいる場所でした。だからこそベルトに見つけてもらうために、原稿は何よりも大切なものだったのです。母にとっては、原稿は「祖国」であり「ベルト」であったのです(たぶん)。そんな母を守るため、ホープは原稿を共に守ります。収容所で原稿が見つかりそうになったとき、ホープ母はを助けるために密告さえしました。そしてなんとか二人は原稿を抱え、パレスチナにたどりついたのでした。やがて、第二次世界大戦ががおわりベルトに会える日がやってきました。しかし、自分の子供を失った悲しみと、日常のためにクラインの原稿のことをあきらめてしまっていたベルトは、原稿をもはや必要とはしておらず、マリーとの再会にもさほど気のりしていませんでした。マリーは原稿を守るためにどれだけのモノを犠牲にしたか!とベルトにすがりつきます。しかし彼は妻がいるのだと冷たくマリーを突き放すのでした(おいおい!)。列車に飛び込み、自殺をはかろうとするマリー。ベルトはそんなマリーを助け、彼女に原稿を「持ち続けること」を許可するのでした(ここら辺、『HOPE』の暗鬱祭りです。しかしここからも、祭りは続くよどこまでも)。
 帰る場所を失ったマリー。テントの中で原稿だけを抱えて生きる母から逃れたいと考えるホープ。そんなホープが、ドイツからの非難の際に両親と妹を失ったというカデルと出会う。ホープは彼との生活を夢見て、自分が所有するヨーゼフ・クラインの遺稿の話をしてしまいます。彼はオークションでそれを売ろうと持ち掛け、一部の原稿がドイツ人に買い取られることになりました。あの、母が守り通そうとした相手であるドイツ人に売られた原稿、ホープはその皮肉に苦しみながらも、カデルとの未来に希望をつなぎます。しかしカデルは一人で金をもちにげしようとしていました。ホープが一緒だと、自由になるにはこの金は少なすぎる、と。彼女を見るたび、ドイツ人からこの金を得たことを思い出すのだと。カデルはホープに、決断は自分がするものだと言い、立ち去ってしまうのでした(まじかよー!どんだけー、と思う部分です・・つらい。しかしこの、「決断をするのは自分自身であれ」という部分はこの作品の重要ポイントです)。絶望の闇へ突き落されるホープ。ついに彼女は母と原稿を捨て、テントから逃げ出す決意をします。しかし20年後、母が亡くなり残された原稿のもとに、ホープは舞い戻って来てしまいます。母の残したコートをきて、ああ、暖かい、とつぶやいて母同様、テントの椅子に自らの人生をしばりつけるのでした。そんなホープに、Kは、自らの人生を閉じ込め、原稿同様に誰にも読まれないものにするべきではないと諭します。むしろ原稿を手放すことで、自分の人生を取り戻すことをうながすのでした。

 誰にも省みられなかった人生、それはマリーの人生でもありました。ベルトは死の間際、マリーに言及せず、原稿所有者としてそれをイスラエル図書館に渡すと遺言していました。金を持ち逃げしたのはカデルですが、オークションに原稿を掛けた書類には、ホープの署名が使われていました。マリーとホープは「原稿を守る」ということにすべてをかけ、またそれにすべてをかけるしかないほどに、自らの人生を奪われてきたのです。狂女の人生には誰も関心を払わない。原稿だけが自分の人生に意味を与えるのだと、ホープは原稿に固執するのでした。

 しかし、原稿がなくても読むべき人生はある。裁判を決心したのも、自分の人生が「読まれる」べきものであると、人々に示したかったからではないのか?とKが問いかけます。Kに励まされ、ホープはやがて決心します。もう、帰る場所のない雪原に立ちすくむ旅人ではない。自分の人生をとりもどすべく、原稿を手放すのでした―――で、幕。

否定される人生、その中でいかに自分に意味を見出すか?

ミュージカル『HOPE』は、あまりに過酷な体験(強制収容所からの生還、難民としての生活、男性からの裏切り(母子二代にわたる・・))によって自らのアイデンティティのよりどころを見失った親子が、守るべきモノとしての遺稿に自分たちの存在意義のすべてを見出してしまう物語です。原稿を守る、というそのことに集中すれば、自分たちの存在意義がぎりぎりに保たれる。自己を守るために、何かを「守る」必要がある人たちなのです。しかしそれは、自分の人生を生きることではないし、守られているモノの人生も閉ざしてしまうものではないか?そう問いかけつつも、そこから抜け出すことの困難さを描きます。歴史的な悲劇として描かれるこのメッセージは、母娘関係における自尊感情の形成が、社会的要因によっていかに困難におかれるのか?という現代的問題にもつながるように読め、ずっしり見ごたえのあるミュージカルとなっておりました。しかしこれ、ストレートプレイだったら苦しすぎたと思う・・!