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創作ミュージカル『ルードウィクLUDWIG:ベートーヴェン・ザ・ピアノ』(2018-9年、韓国、初演)見て来たよ(3)―さっそく再演決定!おめでとうございます記念!

創作ミュージカル「ルードウィクLUDWIG:ベートーヴェン・ザ・ピアノ(2018-9年、韓国、初演)の感想を書き終わらぬうちに、再演が決定。2019年4月9日~6月30日まで、ドリームアートセンター1館にて再演予定。今度は見てみようかな・・?そんな風に思っている方々には強力にプッシュしておきたい本作品。曖昧な記憶をもとにあらすじをなぐり書いておきたいと思います!再演では変更もあるかと存じますが・・。ミュージカル『SMOKE』の作演出家、チュ・ジョンファさんの最新作。あの世界観がお好きな方にはぜひ!

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ベートーヴェンが聴力を失いながらもそこにあふれんばかりの音楽への情熱を発見する曲「運命」で、スパーク感を確認してみてください!

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あらすじ

物語はある青年が修道女を訪ねるところから始まります。青年は弟子入り希望ピアニストで、一度だけベートーヴェンに会ったことがありました。弟子入りはかなわなかったけれど、のちにベートーヴェンから一通の手紙を受けります。その中には、修道女宛の手紙が入っていました。彼は手紙の宛先を探し、修道女の元にやってきたのでした。修道女は青年の持ってきた手紙を読み始めます。そこでシーンは手紙の主、ベートーヴェンへと移ります。手紙の中で彼はかつての自分を振り、自らの人生を修道女あてに書き綴るのでした――。

ベートーヴェンは小さなころから父親に「モーツアルトのようになれ」と育てられ、ピアノを弾き始めました。父親の高圧的態度にはうんざりしていましたが、ピアノを愛し、作曲にも才能を見せました。青年になったベートーヴェンは作曲家として認められ、演奏家としても評価されていました。しかし、やがて耳に異常を感じるようになります。次第に耳鳴りも頻繁になり、聴力を失う恐怖がベートーヴェンを襲います。嵐の夜、ついに彼は自殺を考え、皇帝から下賜された拳銃を自分の頭に向けるのでした。まさに死を選ぼうとしたその瞬間、男の子が家にやってきます。バルトというその少年はマリ―と呼ばれる女性に連れられていました。マリーはベートーヴェンに、バルトに音楽を教えてくれるように頼みます。彼女は裁判所の手紙を持っており、自分がバルトの保護者として認められるために、彼の音楽の才能をベートーヴェンに承認してもらい、彼を弟子として受け入れてもらう必要があるというのです。もし弟子入りがかなわなければ、バルトは明日にもイギリスに出発しなければなりません。そのため嵐を押してベートーヴェンの家にやってきたのでした。押しかけて来た女性、マリーは女だてらに建築家を目指しており、建築家の先生に手紙を書き、家まで押し掛けて建築を学ぶきっかけを得た、と言う経験を持っていました。また、マリーはベートーベンが幼いころ屋根裏部屋で弾いていたピアノを聞いており、その音楽に勇気づけられていたのです。だからこそ、バルトのピアノへの情熱と才能を理解してくれるのはベートーヴェンしかいない、そう思ったマリーは、建築家の先生の家に押しかけた時と同じ戦略で、ベートーヴェンの元を訪れたのでした。しかし、自分のことで手一杯のベートーヴェンは、マリーとバルトを冷たく突き離します。失意の中旅立つことになったバルトは、それでもイギリスでピアノの勉強することをマリーに誓います。また、ベートーヴェンの家でこっそり彼が作曲した曲の楽譜を盗んできてしまったことを告白し、マリーにそれを返してきてほしいと頼むのでした。

――後日。楽譜を返すためにベートーヴェンの家を訪れるマリー。ベートーヴェンは、聴力を失う恐怖から飲んだくれの日々を過ごしていました。マリーは彼に、楽譜を返しながらバルトが船の事故で亡くなったことを告げます。衝撃を受けるとともに、結局希望持つことには意味がないんだと、ベートーヴェンさらに絶望します。そんな彼にマリーは、自分は女であっても建築家を目指す、絶対希望を捨てはしないと叫ぶのでした。その言葉は、耳の遠くなってしまったベートーヴェンには、もはや届きませんでした。しかし、バルトの死とマリーの情熱にふれたベートーヴェンは、天啓を受け、静寂の中に音を見いだします。そう、頭の中から無尽蔵に音楽が湧いてくるではありませんか・・。

自分の中に音楽を取り戻したベートーヴェンは、次々と楽曲を発表していきます。そんな中、亡くなった弟の子供、つまり甥にあたる少年が家にやってきます。彼の名はカール。バルトに対する自責の念に駆られていたベートーヴェンは、10歳のカールを見て、バルトの代わりに彼を自分の後継者として育てあげようと誓うのでした。しかしカールは、成長するにつれ自分に音楽の才能がないことに気づき、ベートーヴェンの期待を重く感じるようになります。彼は、ベートーヴェンのことを、ルードゥウィックと呼び、愛してはいるけれども、彼から受ける愛情と期待には答えられないと思い悩んでいました。反抗しても反抗しても、耳の遠くなったベートーヴェンはそれを聞き入れようともしません。
カールとベートーヴェンの葛藤が最悪の事態を迎えたとき、マリーが再びベートーヴェンを訪ねてきます。彼女は男の格好していました。建築博覧会で自分の設計図が入賞したことをベートーヴェンに報告します。なぜ男の格好しているのかと聞かれ、マリーは自慢げに世界中をこの格好で旅したと答えます。女の格好では今まで拒否されていた場所にも、この格好でいれば、受け入れてもらえるのだと。博覧会も、田舎で農業をする兄の名前でエントリーしたのでした。女の名前では受け付けてさえもらえなかったから・・・。

マリーはベート―ヴェンと話す中で、カールを後継者として育てていると嬉しそうに語るベートーヴェンが、カールをバルトの身代わりととらえている事に気付きます。マリーは、彼のバルトに対する想いに感謝しつつも、カールのことが心配になるのでした。ベートーヴェンに、本当に音楽がしたいのか、ちゃんとカールの意思を確認したのかと問いかけます。しかし、ベートーヴェンは、カールに何かしたいことがあることなどは思いつきもしないようです。二人が話しているところへ帰ってきたカールに、話題に出ているバルトとは何者かと問いただされます。マリーはカールとベートーヴェンの間に板挟みにならないよう、その場をはなれようとするのですが、カールのデビューコンサートの段取りを、勝手に取りつけてしまい喜ぶベートーベンに心底絶望したカールから、二人の間を取り持ってほしいと相談されます。マリーは迷った末、ベートーヴェンに、カールにもしたいことがあるはずだとだけ伝えるのでした。しかしそれを聞いたベートーヴェンはマリーに腹を立て、君は男の格好して自分を欺いてまでしたいことがあるのかと問いただしてしまいます。マリーは、そんなベートーヴェンの言葉に憤り、男の恰好をしている理由として、自分には戦う覚悟があるにもかかわらず、男たちのほうに戦う覚悟がないのだと言い捨てるのでした。
マリーに言われたことが心に刺さりながらも、カールに音楽家なってほしいとの思いが捨てられないベートーヴェン。カールとの言い争いの末、カールは自分は軍人になりたいのだと叫びます。しかしベートーヴェンは頑としてそれを聞き入れようとしません。そんなベートーヴェンの態度に絶望したカールは、自分の頭に向けてピストルを打つのでした。
再び、手紙を書くベートーヴェン
幸いカールは助かりましたが、ベートーヴェンの元を去り、軍人になって以来連絡もありません。ベートーヴェンは孤独を感じながら、マリーに言われた通り、カールの話を聞けばよかったと後悔します。そんなおり、1人の青年が訪ねてきます。耳がほとんど聞こえなくなっていたベートーヴェンは、青年がいることに気づかず青年を驚かせてしまいます。自分が作曲した曲の楽譜を忘れ、慌てて出て行ってしまう青年。ベートーヴェンは自分に死が近づいているのに気づいていました。
――ドミニカ修道女となっていたマリーは、手紙を読み終わると、手紙を持ってきた青年に、あなたの作った曲を聞かせてほしいと言います。請われるままにピアノ曲を弾き始める青年。同時に、青年の忘れていった楽譜を読むベートーヴェンの姿が舞台上に展開します。ベートーヴェンは涙を流し、自分が求めていた新しい音楽がすでに育っていたことを知るのでした。マリーへのベートーヴェンの手紙には、この青年の音楽を送ると書かれていました。この青年に名前を訪ねるマリー。彼の名は、シューベルトでした。
マリーはいま何をしてるのか、手紙のベートーヴェンは尋ねます。マリーはベートーヴェンと争った後、女の格好で建築博覧会に乗り込んで行き、そこで見事に拒否されたのでした。そしてその後修道女となり、女の子たちに高等数学を教える仕事をしているのだと。自分の希望は、叶ったと言えないけれど、いまだ夢を見ているのだといいます。その夢はいま実現しなかったとしても、それが誰かの夢につながり、そしていつの日にか異なる未来が広がることを夢見ているのだと。未来を夢見、逆境にあっても新しい世界を切り開くような情熱、それこそがベートーヴェンとマリーの共通点だということが暗示され、それを永遠につないでいくようなベートヴェンの音楽がたたえられて、幕。

聞こえなさ・少年/青年/老年時代の交錯する演出の妙

さて、このミュージカルの面白さは、演出の妙にもあります。舞台にはベートーヴェンやバルト、カールの子ども時代を演じる子役の俳優、ベートーヴェンとカールの青年時代を演じる俳優、そして晩年のベートーヴェンを演じる俳優が、各登場人物の年齢に応じていくつかの役を演じ分けます。ある時はカールとベートーヴェン、しかし同じ俳優たちが、あるときは青年時代のベートーヴェンと老年時代のベートーヴェンの対話を演じるのです。舞台上で刻々と俳優さんたちが演じる人物の役名は変化していきます。それによって、いくつかの時間が重層し、ある年代における苦悩や特徴が多角的に浮かび上がってもくる。チュ・ジョンファ脚本に見られる(気がする)、個人の輪郭を越えて、ある状況を共有した人々が作り上げていく集合意識のようなものが、本作品でもうまく描かれていたように思いました。

また、ベートーヴェンを襲う人生最大の障害は「耳が聞こえなくなる」ということなのですが、この見せ方がうまい。舞台上の音楽・音響を操作することで、観客も一緒に、ベートーヴェンが経験した(であろう)「聞こえなくなっていく恐怖」を体験することになります。だからこそ、さまざまなノイズや音のゆがみが消え、ついに訪れる静けさの後に、美しい音楽だけが鳴り響くシーンでの高揚感はハンパない。そこには恐怖ではなく、あまりにも崇高な音楽の世界が広がっていた――、ベートーヴェンと共に経験するその感動に、胸が締め付けられますよ!