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創作ミュージカル「ルードウィク:ベートーヴェン・ザ・ピアノ」(2018-9年、韓国、初演)見て来たよ(その2)―韓国創作ミュージカルの女性キャラらしく?

ミュージカル「ルードウィク:ベートーヴェン・ザ・ピアノ」がJTNアートホール1館にて2018年11月27日~2019年1月27日まで公演中でございます。ベートーヴェンの人生をたどる本作品、ベート―ヴェンが最後に手紙を送った女性が物語において重要な役割を果たします。ベートーヴェンの手紙といえば、宛先となった「不滅の恋人」は誰だったのか?という研究がされていたりもしますが。しかしこの物語でその宛先となった「女性」像を、まさに「イマドキ」な女性に設定している点が面白い。

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韓国インターパークサイトより

手紙を受け取る修道女マリー

本作品では、ベートーヴェンが死を前に過去を回想し、それをしたためた手紙を受け取るキャラクターとして、修道女マリーという女性が設定されています。なぜ彼女に手紙を渡したのか?それは、彼女がベートーヴェンの人生の節目節目に現れ、不可能や困難に見えることを乗り越え未来を夢見る力を与える、音楽の豊かさを認識させてくれたからなのですが・・。マリーは物語において、ベートーヴェンに音楽の豊かさを発見させるミューズのような役割を果たします。しかし彼女は、ゆるふわ癒し系とか、ラグジュアリーゴージャス系とか天使とか聖母といった「女性的」魅力を付与されていない。むしろ、その時代において「女性であること」と戦っている存在なのです。

マリーとベートーヴェンの関係

彼女は、はじめから修道女だったわけではありません。また、二人の間には恋愛的な感情は全く存在しないものとして描かれます。むしろ、音楽の力を信じること、その一点でつながる関係なのです。最初の出会いは、ベートーヴェンが死を選ぼうとしたその瞬間。そこで不可能を可能にする力強さと輝きを持つ彼女との出会いが描かれます。彼女は建築家を夢見、女にはそれを学ぶ手立てがなかった時代にもかかわらず、自ら師と決めた建築家を訪ねて弟子にしてもらった、という行動力のある女性でした。次にベート―ヴェンが出会ったマリーは、男装して世界を放浪する旅人でした。彼女は男装することで今まで入れなかった場所に足を踏みいれることができるようになった喜び、世界に受け入れられる喜びを語ります。しかも彼女は建築博覧会で自分の設計図が採用されたことも報告します。しかしそれは、彼の兄の名前で提出されたものでした。女の名前では、受付さえしてもらえなかったのです。マリーは、男性としてこの世で生き残ってやると野望を燃やしていたのでした。しかしやがて、その「男装」はしょせん「偽装」に過ぎないと感じたマリーは、建築の道をあきらめ、修道女となり女性に「数学」を教える仕事を始めたのでした。

現在の女性の声を代弁する

(男だと)嘘をつき続けるのはつらくないか?とわかったような態度で説教するベートーヴェンに対して、「私には戦う覚悟があるのに、男たちにその覚悟がないのよ」と戦うことさえできない現状に怒りをあらわにするマリー。建築家の夢をあきらめた後にも、自分の希望はかなわなかったけれど、いつの日か、後に続く女たちに希望はつながり、それがかなう日がやって来るはず・・とつぶやく場面があったりもして。ものすごく今の韓国における「社会の壁と戦う女性(たち)」のイメージ、その言葉、その連帯感(みんなの想いを背負って戦うゾ!)を色濃く映し出しています。ミュージカル「レッドブック」で描かれたキャラクターに類するような、現状を疑問視し、社会に物申す女性キャラクターが、韓国ではフツーに作られるようになったんだな・・としみじみしたのでありました。

しかし「レッドブック」の主人公アンナには信頼できる仲間と恋人がいてその戦いを共にしてくれるのですが、マリーは孤独なのが悲しい。最後の最後、ベートーヴェンが彼女のために新しい音楽を聞かせてくれますが、はたして、音楽の力は仲間を超えるほどの希望や安らぎをあたえられるのでしょうか・・。