ミュージカル「グレート・ギャツビー」(東宝版、2017)見て来たよ!-宝塚トップスター?な井上芳雄さんを堪能できるよ

たいへんご無沙汰しております。皆様いかがお過ごしでしょうか。韓国「スリル・ミー」ロス後あっというまに時は過ぎゆく。韓国では夏の大型ミュージカルがこぞって開幕。みなさま夏の観劇プランは整いましたでしょうか?

さて、久しぶりの更新となった本記事ではございますが。今回報告するのは韓国ミュージカルではございません(スリル・ミーの残り記事は、いまだしつこくアップしたいと妄想しておるのですが)。

宝塚歌劇小池修一郎演目の金字塔。「グレート・ギャツビー」の非宝塚バージョンを見てまいりました報告。もちろん、ギャツビーを演じるは日本が誇るミュージカル界のプリンス井上芳雄日生劇場で2017年5月8日に幕を開けた本作品。6月3日~15日まで愛知・中日劇場、そして大阪・梅田芸術劇場では7月4日~16日。とうとう関西にやってまいりました。この後、博多座7月20日~25日と公演は続きます。ハイライトCD発売も決まり、絶好調。

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(「全てを手に入れた男が、ただひとつ手にできなかったのは、愛―。」のコピーと共にたたずむ井上芳雄さんのオーラやいかに??)

小説のミュージカル変換

スコット・フィッツジェラルドによる原作小説は、アメリカ文学を代表する作品の一つ、と評される超有名作品。その文体や視点の取り方、ギャツビーを通じて描かれる当時のアメリカ社会。論じるべきところあふれる名作でございます。とはいえ、そもそも小説の物語を舞台に置きなおしたとき、視点のおきかた(誰の目を通して物語を見るか)は変化せざるを得ない。舞台はなんといっても生身の人間がわんさかと一つの場所に出てくるわけですから。なので、小説版にあった空気感はミュージカルにおいて何らかの形に解釈しなおされ、変換されなくてはならないわけです。その一つの見どころとして、ギャツビーのカリスマ度、というのがあるのではないでしょうか。

というのも今回、小池版ギャツビーは「宝塚の魔法」の粉をまぶして完成するギャツビーであるのだな、と実感いたしました。もちろん東宝版を作成するにあたり、さまざまな手直しがはいったということです。しかし。下に張り付けた舞台映像冒頭12秒目あたりにあるギャツビーの登場シーン。「私がギャツビーです」と名乗りを上げ、階段から降りてくるシーンに要求されるスター・オーラーは、なんというか宝塚のトップスター・オーラな気がする。ここで、劇場の雰囲気を一気に掌握し、ギャツビーに観客の視線を集中させることができるか否かが、役者さんには問われるのです。こ、これ、相当大変ですよ!

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宝塚のトップスターの輝きは、観客との信頼感や組のシステムなどガッツリとした安定感のうえに放たれるもの(たぶん)。それを今回の演目のために結成されたカンパニーにおいて、急速になしとげなければならない。はたしてそんなことできるのか??

ーー一幕目はややスター・オーラシンクロが「もう少しあってほしいかも」と思わされる部分が目についた。そこでは、小池演出と、井上芳雄という役者のオーラがぶつかりあい、ギャツビーという人物としてのしっくり感が足りない気がしてしまったのです。

「この役、パク・ウンテさんで見たいなー。韓国でも上演してくれないかな」などと脳内でつぶやいてさえしまった(申し訳ない!でもウンテさんにも演じてほしい・・)。

しかし、二幕からの怒涛の展開において、一幕での感想を恥じました。井上プリンスのデイジーの愛を信じて疑わないギャツビー(よく見てみろ、デイジーはそんな女じゃないぞ!と言ってあげたくなるような)の、前しかみてない危うさと純粋さ、その狂気のようなものに、ガツンとやられたのでした。

なんだろう、これは宝塚?とおもうような動作も板につき、「女性に演じられる理想の男性」を「演じる男性」として一つの到達点を見た・・かもしれない。いや妄想かもしれないけど。

そしてあらためて、宝塚版も見たい!と強く想いもしたのでございます(あるいは、韓国版。イ・ギドンさんもお父さん役で再登場というのはどうでしょう)。