韓国ミュージカル☆ライフ

韓国ミュージカルを楽しみつくすブログ

ミュージカル『リトルジャック』(2019年、韓国、再々演)見て来たよ!―ライブハウスで語られる恋の物語を聴こう

韓国の創作ミュージカル『リトルジャック』が2019年7月13日~9月8日まで大学路TOM2館にて上演中。1967年の英国、クラブ・マーティンで今や人気バンドとなった「リトルジャック」が特別公演を行う。そこでボーカルのジャックは大切な人の話を始めるのだったーー。リトルジャックの演奏と、過去を回想しつつ語られるジャックとジュリーの物語が平行して進むミュージカル。2016の初演から数えて三演目、みたびクラブマーティンの夜が始まります(見たのはマチネでしたが!)。キャストはこちら。

f:id:pokos:20190810195942g:plain

 ジャック・フィッシャー:ファン・ミンス

ジュリー・ハリスン:ホン・ジヒ

黄順元の小説『ソナギ(夕立)』をベースとした儚い恋の物語

 本作品は教科書にも取り上げられる(そして語学学校でも一回は目にする有名な)小説『ソナギ(夕立)』に発想をえて書かれたそうで。まさに初恋とその喪失(ネタバレしますと、少女の死による永遠の別れ)を扱う物語です。まずざっくりとお話を描き残しておきましょう。

 成功したバンド、リトルジャックがその出発点となったクラブマーティンでライブを開く、劇場はそのライブハウスという設定で物語は始まります。観客はライブハウスのお客でもある。バンドボーカルのジャックは、この場に残る、亡くなった恋人との記憶をたどり、それを語りながらライブを進めていきます。彼の話によると、リトルジャックがまだまだ駆け出しのころ、代打ピアノ奏者として急きょ呼ばれてやってきたのがジュリー、彼の最愛の恋人となる少女でした。ここにいるのは自分一人だと思えばいいよ。ジャックは緊張する彼女に声をかけ、リラックスさせ、ピアノを演奏させたのでした。留めておきたい瞬間を撮影したい、そんな思いからジュリーはいつもカメラを持っていました。そしてジャックにそっと、去年のライブでジャックが歌う写真を渡したのでした。恋に落ちる二人。その恋心から生まれる曲。また、ジュリーは武器商人の娘でした。ジャックが大切にしているギター・リトルジャックをくれたのは父なんだ、そんな話をするジャック。しかし彼の父は戦争でなくなっていました。ジャックに謝るジュリー。君に責任はないよ。そういうジャックに、武器を打ったお金で生活している自分にも責任はあるのだというのです。やがて、二人の恋はジュリーの父の知るところとなりますが、その仲は認められません。ジュリーは普段アメリカに暮らしているのですが、肺病療養のため、夏はイギリスで過ごしていたのです。夏ごとに思い出を重ねる二人。いつしかジュリーとジャックは父の手を逃れて駆け落ちすることさえ夢見、やがてそれを実行しようと計画します。ついに計画を実行にうつした夜。ジャックはジュリーと待ち合わせた駅に向かう途中、ジュリーの父とその部下に襲われ、意識を失ってしまいます。やむなくジャックの元を去ったジュリー。ジャックは喪失を抱えて創作に励むしかありませんでした。その怒りと喪失は多くの曲を生み出します。

 生み出された曲が評価され、スカウトのサムによってリトルジャックはついに全米ツアーにでることに。スターになればジュリーに気づいてもらえるかもしれない、ジャックはそんな思いを抱いてツアーに臨みました。しかし積み上げられる成功とは裏腹に、ジャックは不眠症に苦しみ、アルコールと薬付けに。そしてここ一番の大舞台の前日、ふと目にした新聞記事にはジュリーと大手自動車メーカーの息子との婚約が報じられているではありませんか。ジャックは晴れの舞台で酒をあおりながら歌い、そして父からもらった大切なギター・リトルジャックを壊してしまうのでした。乱闘の結果ジャックは逮捕、麻薬中毒のため入院。全てを失ってしまいました。その後、すこしづつ活動を再開するも、舞台恐怖症に苛まれ、十分に歌えません。再起をかけたオーディションでも言葉に詰まってしまいます。もうだめなのか・・。そう思ったとき、そこにジュリーが現れ、ピアノを弾き始めます。そして彼女は、ここにいるのは自分一人だと思って、かつてジャックがジュリーを勇気づけピアノを弾かせた、あの言葉をかけるのでした。ジュリーの支援を得て息を吹き返すリトルジャック。ジュリーとともに歌を歌う幸せな日々がもどってきました。そして、ジュリーに再度プロポーズするジャック。しかし答えを告げぬまま、日記を残してジュリーはいなくなってしまいます。そう、彼女は肺癌が全身に転移しており、もう助かる見込みはなかったのです。ジャックが必至で彼女の入院した病院を見つけた時には、すでに無くなっていました。彼女は最後に、永遠の愛を読む詩と彼女の言葉、私は星になって輝くわ、あなたは歌っているときに輝く、だから私が見つけられるよう、歌って‥、その言葉を残したのです。クラブ・マーティンの観客たちに、ジャックは語ります。だから僕は歌うのだ、と。そしてライブは彼女に捧げる歌で幕を閉じるーーー。あとはほんとにライブ!

基本的にジャックがしゃべりまくり歌いまくるよ、どこまでも

リトルジャックバンドの持ち歌の創作秘話が「ソナギ」的物語として語られ、同時にライブが進行していくというスタイルの本作品。話をすすめ、歌を歌いまくるのはジャック、なんといってもジャーック!これに加えてジュリーが回想の物語内にちらちらあらわれ、いくつかの曲で共に歌うスタイルです。なので、はっきり言ってジャック役の俳優さんの一人芝居に近い形(いや、ジュリー役の俳優さんもそこそこ出てきますけどね・・)で進みますので、大好きなキャストにあたれば、至福の時を過ごせること間違いなし。ストーリー自体は、王道初恋モノと言える直球ストレートなので、そこに何かを読み込んだり云々というよりは、初恋のこそばゆいキャッキャッ感を堪能してこちらまでこそばゆくなりながら、ジャックにキャー!とさけぶライブ的ノリの楽しみを重視したいところ。

そして『馬車にのってワイワイ』(ゴレゴレ)系のライブ・バンドモノにつきもののカーテンコールはほんとにライブしちゃうよ!という設定ですので、心の準備をよろしくお願いいたします。とりあえず、一緒に歌うことを要求されますが、ちゃんと「ここでこんな風に歌ってね!」といいう指示がはいり、練習もした上で臨みますので、そんなに心配はないと思われます。あとは一緒に歌うだけ!隣のおねえさんがすんごくうまくてもびっくりしないでくださいませ・・。

日本語字幕サービスが受けられます

また、本作の制作会社であるHJカルチャーは、最近自社制作作品に関して字幕表示用多言語タブレットの貸し出しサービスをおこなっているのですが、この作品でも字幕サービスがうけられるようです。座席は後方列になってしまうらしいのがやや残念ですが、日本語で内容が知りたい!という方は利用されてみてはどうでしょうか。(記念品って何がもらえるんでしょうね?)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ミュージカル<リトルジャック>字幕機申し込みのご案内

 

ミュージカル<リトルジャック>は、外国人観客のみなさまのために、字幕機サービスを提供しております。

字幕支援サービスは7月25日より可能です。

字幕支援サービスをご希望の方は、前日までにHJカルチャーのお問い合わせメール(help@hjculture.com)へ、お申し込みください。(日本語、中国語、英語)

 

字幕が映し出されるパッドの明かりのため、座席は最後列の通路周辺をご予約くださいますようお願いいたします。字幕をサポートする座席は限られているため、先着で締め切りとなった場合は、字幕をサポートのご提供はいたしかねます。ご了承ください。

 

 

■申し込み方法

チケット予約(最後列通路付近の座席)→事前申し込みメールを発送→申し込み確認メールを確認→30分前に会場到着→チケットの受け取り・字幕機申し込みの確認→ミュージカル鑑賞

 

HJカルチャー代表メール:help@hjculture.com 

 

(申し込み様式)

1.ミュージカルタイトル:

2:観覧日付/時間:

3.お名前:

4.お使いになる人数:

5.予約座席番号:

6.言語(英/中/日):

 

■字幕機の使い方

字幕機は予約した座席にあらかじめ設置されております。

言語選択→公演情報の画面→公演が始まると自動的に字幕が映し出されます。

*公演が始まると、自動で字幕が流れますので、これ以降の機器操作は控えてください。

 

*小劇場の公演ですので、小さな声や動きが周囲のお客様のご迷惑となることがあります。 

他のお客様のために公演観覧マナーを守ってください。

 

どうぞお楽しみください。

 

■ 外国人観覧客向けキャンペーンのご案内

外国語字幕サービスをご利用の外国人観客の方に限り、先着順で記念品をプレゼントいたします!(早い者勝ち!お見逃しなく)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

hjculture.com

ミュージカル『スワグエイジ-叫べ、朝鮮!』(2019年、韓国、初演)見て来たよ―K-POPの魂が時代劇に降臨!

韓国の創作ミュージカル『スワグエイジ-叫べ、朝鮮!(스웨그에이지:외쳐,조선!)』が2019年6月18日~8月25日まで、ドゥサンアートセンター・ヨンガンホールにて上演中。歌中心に魅せる韓国ミュージカルに、K-POPダンスが合体した本作品。物語・歌・踊りが一体となった無敵の「時代劇」ミュージカル。韓国エンターテインメントの底力を堪能できる出来上がりでございました。韓国コンテンツ振興院主催の2018年優秀クリエイター発掘支援事業、2019年韓国文化芸術委員会芸術創作産室の今年のレパートリーミュージカルに選定されており、2018年11月にショーケースでも好評をえ、満を持しての初演となった本作品。PLエンターテイメント制作第一作。見て来たキャストはこちら!

f:id:pokos:20190810171633g:plain

ダン:ヤン・ヒジュン

ジン:キム・スハ

ホングク:チェ・ミンチョル

シプチュ:イ・ギョンス

「歌」と「ダンス」で社会を変えろ!

物語はと申しますと。舞台は朝鮮王朝(風)時代、時の政治を批判する「時調(詩)」を自由に吟ずることが禁じられている中で、身寄りのない主人公ダンは、歌と踊りで「社会に物申す」表現を模索していました。しかしその実力は不足しており、人々に見向きもされない・・。そんなへなちょこな彼が仲間を得、自らの出自を知り、単なる「自分の怒り」を表現にとどまらず、社会とつながり共感を得ていく「歌と踊り」を模索していくようになる。この物語世界では、そもそも歌と踊りは民衆の楽しみでありつつ、かつ政治的意見表現の場でもあり、人々の思いをまとめ上げていくツールでもある、といえます。だからこそそれは、時の権力によって封じられたり操られたりもする。かつて時調の芸を極め、王にも認められたダンの実の父は、政敵によって王を批判したという疑いを掛けられ命を奪われていたりもしているほどなのです。「歌と踊り」は楽しいだけではない「政治」と密接にかかわりうる「表現」なのだ、そんな含みが見えてきます。最終的に、ダンは父の無念を知り、また民衆の声を王に聞かせるために、時調大会(歌とダンスを競う御前試合)を勝ち抜くことを決意します。数々の妨害にあいながら、かつての父の仇敵の娘も見方になって、「民衆の声」をつくっていく。この、国家権力に「文化」をほしいままにさせない!それは民衆のものであり、自由に表現できる場として守られなければならないのだ!という前提が、力強く物語を推し進めていきます。まさに、歌やダンスが社会を変えると叫ぶことが「イケテル」ことと結びつけられるのです。

K-POP的ダンス力と韓国ミュージカルの音楽力のコラボ

さて、この物語のキモはなんといっても「歌と踊り」。これが本当にかっこよくなければ、説得力は半減してしまう。しかし心配ご無用!伝統的な音楽のスタイル・踊りのスタイルと現代音楽やダンスが見事にミックスされておりますよ。あんだけ激しく踊って、どこからこの声が出てるの???とびっくりすること請け合いで、俳優さんたちの身体能力の高さにうなるしかない。2016年の日本版『ミス・サイゴン』でキムを演じたキム・スハさんの透明な声にも心揺さぶられまくりです。また本作品は、あまり動きがなくて歌をじっくり聞く系や、演劇的なセリフが歌になる系のミュージカルよりは、基本的にはダンスパフォーマンスによった作品なのかな、という気がしました。なので、セリフはあまりわからないかも・・という方にもおすすめな作品だと思います。それこそ『NANTA』をはじめとするノンバーバル作品に近い楽しさを味わえるのではなかろうかと。

残りの期間があまりありませんが、航空券が安さ爆発の今日この頃、さくっと観劇ツアーを組んでみてはどうでしょうか?

ミュージカル『シデレウス』(2019年、初演、創作)見て来たよ―プラネタリウムで観劇したような

ミュージカル『シデレウス』が2019年4月17日~6月30日まで忠武アートセンター・ブラックにて上演中。ミュージカル『最終陳述』と同じく、ガリレオ・ガリレイが主人公でありながら、まったく趣の違う「理科心」くすぐる物語。半円形に囲む客席の向こうに、円と半円を重ねる星図版のような舞台セットが広がって、ガリレオケプラーが愛した風景を共に体験する至福の100分間!見て来たキャストはこちら。

f:id:pokos:20190616154103g:plain

ガリレオ:コ・ヨンビン

ケプラー:チョン・ウクジン

マリア:キム・ボジョン

 あらすじ(ネタバレ!)

 物語は、ガリレオ・ガリレイの娘であるマリア・チェレステが、父からの伝言にあった「燃やしてほしい手紙」の入った箱を手にし、そこにあった手紙を読み混乱しているシーンから始まります。彼女は教会から、父の異端判定にあたって証言を求められていました。彼女が見つけた手紙は、ケプラーからのものでした。

――時はさかのぼり、ケプラーガリレオの手紙のやり取りが始まった経緯が語られます。ケプラーは自らの記した「宇宙の真理」を読み、その仮説を論拠付け、証明してくれる学者を探していました。あちこちの有名どころに「数学者のケプラーです」と手紙を送るも、なしのつぶて。そんな時、ガリレオだけが「おもしろかった」と気まぐれに返事をくれたのでした。感激したケプラーは、ガリレオに手紙を送りまくります。やたら思い入れ過多のアツイ手紙に困ったガリレオは「いや、最後まで読んでないので・・」とモゴり、ぐいぐい押してくるケプラーに及び腰になるのですが、ケプラーはまったくひるみません。むしろ「最後まで読んで判断してほしい。そして、この仮説を誰もまだ証明できていないのだ」とガリレオを挑発。挑発されると、ガリレオはつい興味を持ってしまうのでした。ケプラーの説は宇宙をくもの巣のようなものとして捉えようとしており独創的です。しかし、彼の惑星の運行に関する理論は「地動説」を前提に計算するしかない理論でした。なぜこのような問いを問うのか、また神を信じるのかとガリレオに問われたケプラーは、もちろん神を信じるとした上で、神はすべてに答える存在ではないといいます。むしろ、神が創造したその真理は、なぞなぞのように自分たちに投げ出されているのだというのです。数学者の彼は、誰に問う必要があるともいわれていないその問いに魅せられていました。火あぶりになるかもしれない「地動説」を推論に組み込みつつ論拠付けなければならないであろうこの共同研究の開始に、ガリレオは迷います。しかし、その理論の面白さに夢中になってしまうのでした。二人は星を観測し、その軌道を計算して、理論を精緻化していきます。やがて目測では限界があることに気づき、遠くを見るめがねを改良したような道具が必要であるとも考えるようになります。ケプラーは、おもちゃで売られている望遠鏡をガリレオに提示し、二人はこれを元に星を観測できる望遠鏡づくりに取り組みます。そんな風に研究に夢中になっていたガリレオの前に、彼の娘がやって来てきました。彼女は洗礼名マリア・チェレステを得たといい、修道女になることを告げます。驚きつつも娘を送り出すガリレオ。彼は望遠鏡が完成したとき、マリアに真っ先に星を見せたいと願うのですが、修道院の規則ではそれはかないませんでした。ガリレオはマリアに、望遠鏡の先に広がる、聖書の中の世界とは異なる「神の真理」を見せ、それを共有したかったのでした。二人の間には、二つの真理が横たわり、その関係をはばんでいるかのようです。

 やがてケプラーガリレオの研究は、仮説に論拠を得、かつ証明を完了させるに至りました。彼らは次に、理論を広く知らしめるために書籍を発行することにします。ケプラーは、タイトルとして「星からの使者」を意味する『Sidereus Nuncius』はどうかと提案しました。ガリレオは、ケプラーには「子供っぽい!」と答えつつも、実はノリノリでそのタイトルを採用します(おちゃめ・・)。しかし、本を出すには資金が必要にです。ケプラーメディチ家に支援をもらうことを提案。木星の衛星にメディチ家の息子たちの名前をつけるとかいいながら、この本の価値を説明すればいい!とシュミレーションしてみますが、結論として「地動説を支持し」・・と、言わざるを得ないとわかると「やっぱりだめだね!」とケプラーはあきらめるのでした。が、ガリレオは諦めていません。何がしかを思いついた様子。そう、ガリレオは理論そのものではなく、望遠鏡を売り込み、木星の衛星にメディチの息子の名前をつけ、その星々を見せることで資金をえることにしたのです。木星の惑星ぴろぴろをかぶって懸命におこなったガリレオのプレゼン(?)を評価したメディチ家の頭首は、二人の研究に援助を惜しまないことを約束してくれました。

 しかし、話題となったこの研究は、ガリレオの研究として一人歩きし始めてしまいます。ガリレオは当初ケプラーとの共同研究であることを主張していました。しかし、この本が「地動説」を支持しているように読めることから批判の的になり始めると、ガリレオはむしろその批判を一人で背負う決心をし、ケプラーの名前を出すことを控えるようになったのでした。ガリレオの学説が物議をかもす中、マリアは、教会から父が異端なのかどうなのか、その証拠はないかと問われます。そして、ケプラーからの手紙を読んだマリアは、父が行っていた研究の内実を知ってしまいました。父の研究はマリアにとって、神を冒涜することに等しいと思われました。ガリレオは、これは神の摂理を証明しようとしたものなのだと、必死にマリアを説得しようとします。ガリレオを取り巻く状況がどんどん悪化する中、ついにケプラーフィレンツェガリレオを訪れ、この研究は自分との共同であるのだから自分も責任を負うと主張します。しかし、ガリレオケプラーを追い返すのでした。ケプラーはほかの数学者たちに呼びかけ、学問的真理の追究と神の冒涜は異なるものだとガリレオを擁護する主張を展開します。

 他方マリアは、自らの信仰と父の主張の間で揺れ動く心を抱え、異端として告発すべきか胸を痛めます。そんな折、父の書斎におかれた望遠鏡に目を留めます。それを手にすることは神を冒涜する行為かもしれない、そう思いつつも、望遠鏡をのぞきこんだのでした。そして――そこからみえる星の美しさを目の当たりにしたマリアは、父が見ようとしていた「なにものか」を理解したのでした。父の研究は神への冒涜ではない。天動説も、あくまで教会がおこなった神の真理の一解釈に過ぎないではないか。マリアは父をかばい教会に陳情します。しかし、ケプラーやマリアまでもが教会から異端扱いされることを恐れたガリレオは、教会の審問に対して、自らの説の間違いを証言することを決意したのでした。

 フィレンツェを去ることになったガリレオは、マリアについてくるかと問います。マリアは今は行かないといいつつも、自分も望遠鏡をのぞいたことを父に告げます。その行為によって、ガリレオはマリアが自分の仕事を理解してくれていたことを知り救われるのでした。マリアはまた、修道女として、ガリレオに神の守りがあらんことをと告げ祈るのでした。そして、ケプラーからの手紙をガリレオにそっと渡します。「天文学者ケプラーです。新しい仮説を思いつきました。惑星は太陽の周りを公転しています!もちろん、地球も」「これを根拠付けるために、ケプラー望遠鏡、より性能のよい望遠鏡も発明しましたよ!」この手紙を読みながら、ガリレオは自分の研究が無駄ではなく、誰かの発見の基盤となっていることを知るのでした。「だれも問う必要がない」と思われている問いに、真理へ近づくことの魅力だけを動機としてとりくんでいる人がいる。一歩一歩は無駄に見えるかもしれないが、それは積み重なっていく。真理へ迫ろうとすることの喜び、それは神にそむくことではないというマリアの言葉、3人の思いが重なって・・幕(だったのではないかと、おおよそ・・)。

真理を探究する心を礼賛する「理科少年」のための物語

ミュージカルタイトルは『シデレウス』なのですが、ガリレオが書き上げた書籍の名前『Sidereus Nuncius(1610)』に由来しています。日本では『星界の報告』のタイトルで発行されているこの書籍には、望遠鏡のつくり方と、望遠鏡による月の観測、星座、木星の惑星等の観察記録が収録されているそうです。

 物語はガリレオが『星界の報告』を書き上げるまでの「誰にも問う必要があるといわれていないような問い」に夢中になってしまう「純粋な探求心」を描く部分と、その成果が社会的波紋を呼び当時の常識の中で葛藤を生じていく部分に分かれています。そして、いかに「すこしづつ」その「常識」の感覚が書き換えられていくのかが解決部分として展開していきます。マリア=旧来の世界観と真理 Vsケプラーガリレオ=新しい真理・「科学」により説明可能な真理、という構図がもちいられるため、単に旧来の世界は古臭く間違っていて、(もろもろ困難はあるにせよ)科学によって乗り越えられたという話なのかな?と思わされますが、マリアとガリレオらが「神の真理」とは当時の権威である「教会」がおしつける解釈の一つではなく人の智が及ばぬ何かである、という共通理解(第三の道)を得ていく過程を示すことで「世界は急にがらっとかわったりしない、少しづつ今の常識を変更しつつ変わるのだ」というリアリティを作り上げていたように思います。そして、社会を少しずつ変化させていくその動力として、世界に散らばる「不思議」に答えたいという純粋な好奇心が描かれるのですが。それを体現するケプラーガリレオのやり取りは、萌え死に必至な「理科好き少年」性にあふれています。目をキラキラさせ、時に資金調達に大胆な芝居を打つしたたかさを見せながら、「知りたい」という好奇心にのめりこんでいく二人。お互いの提示する解釈に盛り上がって時を忘れる二人。これ、反則やろ。

その一方で、科学の追及と真理を見つけたいという純粋な探求心が、神をも恐れぬものを発見してしまう『マリー・キュリー』と比較してみたら、それはそれでおもしろいかも・・ともおもわされました。