韓国ミュージカル☆ライフ

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ミュージカル「ファントム」(韓国キャスト・2016‐7年)感想続き-ファントムは意外にお洒落さん・・

ミュージカル「ファントム」の感想はまだ続いておりまする。作品は2017年2月26日までブルースクエアにて上演されます本作品、まだまだ期間はたっぷりございますので、年末年始、あるいはオフピークシーズンの格安チケットを狙って、観劇旅行を計画されてはいかがでしょうか。

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(「知られざる」とかのほうがよくないですかEMKさん)

オペラ座の怪人のビハインドトーリー?

モーリー・イェストン作詞作曲、アーサー・コピット脚本のミュージカル「ファントム」は、つねに超有名ミュージカル「オペラ座の怪人」との差異によって語られる、という運命にある作品です。インターパーク・グローバル(日本語)のファントムページには「知られていないオペラ座の怪人のビハインドストーリー」という、微妙にぎこちない日本語コピーが添えられておりますし(日本語のあらすじページがあるだけ、気合がはいっているのは確か)、韓国語ページでは「あなたの知らなかったオペラ座の怪人の隠された物語」となっておりました。また、(宝塚ではない)日本キャストで公演された際も「アンドリュー・ロイド=ウェーバー版では語られなかったもう一つの「オペラ座の怪人」」と言うように説明されていた模様。

ガストン・ルルーの『オペラ座の怪人』を原作とした両作品は、ロイド=ウェーバー版「オペラ座の怪人」がタッチの差で先に上演されてしまったが故、「ファントム」はビハインドに位置付けられてしまったともいえるのですが。両者を比べてみると、ロイド=ウェーバー版は「オペラ座」という場所にスポットがあたり、(どちらかといえば)怪奇物語として怪人の話が物語られるのに対し、コピット&イェストン版はファントム(エリック)の音楽愛とトラウマの物語として語られるという違いがあります。このアプローチの違いが、表/裏の感覚をより強調しているのかな、と思わせる。

「音楽」の力とその限界を考えさせる

ファントムことエリックに焦点があたる本作品、ミュージカルではエリックの素晴らしい音楽の才能と、にもかかわらず「それだけでは満たされない欲求」が描かれる点が面白いなーと感じております。

彼は音楽の才能にあふれ、それによってクリスティーヌを魅了することができるほど。クリスティーヌをピクニックにさそって連れ出したピクニック会場(?)のセッティングは超おしゃれだったりするあたり(しもべたちが用意したなら、彼らがおしゃれさんなのか?)から推測するに、美的センスもある。仮面をTPOにあわせてコーディネートしちゃうファッショにスタだし。でもそれは、彼が「美」をこよなく愛すがゆえの洗練。裏返せば、彼にとって美しくない自分はもっとも愛せない存在であることを確認する作業でもあるわけです。美を追い求めるほどに、美に酔いしれるほどに、自分を愛せなくなる。これを解決するためには、彼を(「美」という基準を超えて)承認してくれる他者が必要となるのでしょう。しかし、そうした他者は容易にはあらわれなかった。

ーーこのように見てみると、ミュージカル「ファントム」は、これほど美しい音楽にあふれたミュージカルであるにもかかわらず、音楽の与えてくれる至高の何か、のみでは生きられない人間の性を描く物語なのだな、と思わされる。

オペラ座の物語でありながら、音楽の力の限界を見せようとする「ファントム」は、やはり「ビハインド」として位置付けておくのがよいのやもしれません・・。

 

でもまあ、韓国ミュージカルの本領発揮、圧倒的な歌の力に浸されて「ファントム」を観劇すると、「エリック、それだけ歌えるるなら見た目なんぞ『無問題!』」と叫びたくなるのも事実なんですけどね。そう言ってやれよ、エリック父!