韓国ミュージカル☆ライフ

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ミュージカル「スモーク」(2017年版)感想(3)-演劇的面白さがつまった小劇場ミュージカルの極み!

2017年3月18日から5月28日までユニプレックス2館にて上演中の韓国オリジナル創作ミュージカル「スモーク」。みなさま御覧になられましたでしょうか??なになに、まだ見てない?それはもったいなさすぎる!ーーと叫ばずにはいられない、素敵な作品です。

このミュージカル中にでてくる「ホン」という女性(俳優さんが演じる役どころ)ですが、李箱の恋人(?)だった錦紅(クモン)が原型のような名前がつけられております。しかし、このお話で面白かったのは、この役どころが単に「錦紅(クモン)」あるいはイ・サンにとっての恋人そのままではないところです。というわけで、なかなか書き終わらない感想(というか作品紹介)の続きとまいりましょう!

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(リアル李箱(1910-1937)、Wikiより引用)

あらすじの後半(ネタバレしてます)

自分を殺せという女(ホン)に銃を向け、引き金を引くチョ。しかし女は死ななかった。驚く女にチョは自分にも銃を向け、引き金を引いてみせる。やはりチョもまた、死ぬことはなかった。そう、ここは「死」のない鏡の中の世界、イ・サンの精神世界の一部だったのだのです(ここら辺が謎解きになっているので、ジャンルとしてはミステリなのかなと)。

「チョ」はイ・サンが望んでいた(鏡にうつる)強い自己の象徴。彼と入れ替わることを望み、ここに引きこもる「ヘ」こそがイ・サン本人であることが暗示されます。そして彼らが向かおうとしている「海」こそが、現実からの逃避先である「死」を意味していたのです。そしてホンもやはり、イ・サンが鏡の中に見いだす存在であり、彼が出会ってきた「女」の姿をしてはいますが、その実はイ・サンが幼少のころから常にそばに置き、付き合ってきた苦悩や絶望の象徴であったのです(と、私は解釈しましたが、ここら辺大きく見る人の解釈に左右されるのではないかと)。イ・サンが死へと向かうためには、この鏡の世界に絶望や苦悩を連れ込むことが必要だった、というわけなのでしょうか。しかし皮肉なことに、絶望や苦悩こそが彼をこの世に引き留めてもいる。「ヘ」におまえこそが銃を持ち、引き金を引きくべきなのだと迫るチョ。ヘは銃を手に「海」を想いますが・・。

彼は結局、天に向けて引き金を引いたのでした。壊れる鏡の世界。暗転後、再び最初のシーンに戻ります。

最初のシーンで囚人服の男、イ・サンは「チョ」でしたが、ここでは「ヘ」に代わっています。彼の詩が読み上げられ(四角形の内部の四角形内部の四角形の内部の四角形・・何回繰り返すのが正解だったか・・)、この中に暗号を隠しているのではないかと問い詰められる。イ・サンは詩に意味などなく、イメージがあるだけなのだと繰り返すのですが、理解されません。結局病気を理由に釈放され、死にたいと繰り返しながら道に倒れこむイ・サン。

その時、一筋の光が頭上にある机の上にあたり、原稿が輝きます。光に吸い寄せられ、そこにおかれた銃とペンを手にするイ・サン。そして彼は、銃を置き、ペンをとって何かを書き留め始めるのでした。そばには、チョとホンも現れ、ともに創作について語りだします。海にはもう行かない。誰にも理解されなくてもいい。スモークのような幻想でいい。飛び立とうー。創作の希望に満ちた三人のハーモニーが余韻をのこして、幕。

ーーーというようなストーリーです(かなり記憶があいまいな部分もあり、私の解釈が混ざった部分もありますのでご注意ください)。

鏡の世界は1つではない

このミュージカルはいくらでも深読みできそう・・な沼感が漂う危険な作品です。たとえば、「ヘ」としてのイ・サンが書きつけているのは『終生記』と思われるのですが、この物語は入れ子になりかつ循環構造をもっていているとされる複雑怪奇なつくりで有名。確かに「もう理解されなくてもいいじゃん!」みたいなことをホンが言いつつ書かれる作品だけある。また、劇中で鏡は無限に相互を映しあいながら多数の世界を形作るとされてもいました。

つまり、イ・サンの世界観は、現実の世界と鏡の世界(虚構)が対立的に存在するというよりは、いくつもの現実が重層し、入れ子になるようなもの。とすると、はたして最後にイ・サンとして物語を書き始めた「ヘ」こそが、鏡の外の現実のイ・サンであって、チョやホンはその影でしかないといえるのか?という疑問が生じもします。いまいち記憶があいまいで確信がもてないのですが、最後のシーンで「ヘ」は、物語を「左手」でかいていたような気がする(いや、ホントに記憶違いのような気もするのですが)。もし、そうならば。イ・サンの詩「鏡」において、「鏡の中の私は左利きだ。私の握手を受けられぬ---握手を知らない左利きの男である。」という一説がありますから、「左利き」なのは鏡の中の男なのです。創作に取り組む「ヘ」は、鏡の中の男でもありうる。こんな含みもこめられていたのではないか・・。考え始めると、どんどん見たくなるミュージカル「スモーク」。や、やばい・・。

 

・・・まだ続くかも!