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ミュージカル「ファントム」-パク・ウンテさんのファントムは恋愛上手なパリジャン?

ミュージカル「ファントム」が2016年11月26日から2017年2月26日までブルースクェア・ミュージカルホールにて上演中。CD発売も決定したこの公演。チョン・ドンソクファントムに続き、パク・ウンテファントムもみてまいりました。そして今回のカルロッタはシン・ヨンスク様!

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ファントム(エリック):パク・ウンテ

クリスティーン:イ・ジヘ

カリエル:イ・ヒジョン

カルロッタ:シン・ヨンスク

シン・ヨンスクカルロッタがキュートすぎる!

ミュージカル「ファントム」において、カルロッタは金にがめつく、欲望の権化で、才能もないくせに夫の金の力でプリマの座を得てしまう悪女。エリックに言わせるととんでもないゴミで、その声は聴くに堪えないとされます。クリスティーンの清らかさを際立たせるための真っ黒さが求められる役どころ。しかし、シン・ヨンスクさんのカルロッタは半端なくキュート。クリスティーンがビストロで歌いだすシーンでは、初めは冷静さを装っているのですが、次第に周りの注目が彼女に向かうにつれて、やりきれなくなり、ほおをぷっくり膨らませて子供のように怒るカルロッタは、もう愛すべき存在。ムッシュ・ショーレがなんだかんだいってカルロッタにメロメロで、歌がへたっぴでもオペラ座のプリマにすえてあげたいと思ってしまうのにも納得してしまう。彼女には愛さずにはおられない魅力があるのだけはわかるよ、ムッシュ。

このように、クリスティーンとカルロッタが、清きものVS汚れしものというような明確な対立をなさないが故に、むしろクリスティーンの純粋ゆえの残酷さ(エリックの素顔をみて、自分の気持ちに馬鹿正直に逃げ出してしまうような)や、パトロン的なフィリップに心躍らせてしまう上昇志向っぷりが、クリスティーンというキャラクターの人間味として統合されたようにも思いました。エリック目線でみているほど、クリスティーンは天使ではないし、カルロッタはゴミではないのだよ、と。

ウンテ・エリックはコミュ障にあらず

また、今回のファントム(エリック)はパク・ウンテさんだったのですが。チョン・ドンソク王子にくらべてえらくジェントルマンなエリックで、クリスティーンとの会話にも、ユーモアを交える余裕が見えました。これは、既婚者ゆえの所作という現実的問題に由来するのか、あるいはエリックは腐ってもフランス人(?)なので、これくらいの女性扱いスキルはDNAに刻み込まれておる、当然、と解釈された設定上の問題なのかはあいまいですが。たとえば、ウンテ・エリック(ファントム)はクリスティーンにレッスンするさいに、「ふやーふやー、うたってみて」というように、無理難題をしかけるいたずらっ子ぶりを発揮したりもしておりました。ジヘ・クリスティーンは「本当にうたわなければならないのですか?」とマジ返ししておられましたが。他方、ドンソク王子はどのパートも超生真面目にレッスンをつけていたような。

また、ピクニックシーンのエスコートぶりも、本当に音楽レッスン以外何をしたらいいのかわからないよー、どきどき、というようなぎこちなさ全開だった王子にくらべ、森の動物をギャグをまじえて紹介する余裕さえ見せたウンテ・エリック。ママとの会話しかろくにしたことがないにもかかわらず、ここまでスムーズに女子とコミュニケーションがとれる男に成長させたエリック・ママは、相当な教育者であると感じさせられました。

父との和解からの流れは圧巻

今回のファントムをみてあらためて実感したのですが、ウンテさんこれ以上うまくなってどうするの??と思うくらい役の解釈が秀逸です。歌と演技によって表現される父との和解からエリックの最後までのシークエンスは、エリックがクリスティーンをどう許したのか、彼が求めていた愛とは一体なんだったのかが、エリックの感情の流れとともに理解できたように思えます。カリエルになぜ自分を殺してほしいといったのか。それは、醜い自分の姿を多くの人に見られるのは嫌だ、というだけではなく、それが(ある意味間違った行為ではあったにせよ)父なりの方法で自分を守ろうとしてくれた「父の愛」を突き詰めることであり、父から「真の愛」を受け取ることになりうるとわかっていたからではないか。そんな風に感じられたのでありました。

最後、父の弾丸に撃たれ、エリックが落ちていくシーンはスローモーションのようにゆっくりで、この余韻の残し方が実にニクイ。もう、「待ってました!」と掛け声をかけたいくらいでしたよ。