ミュージカル「ペスト」見て来たよ-90年代の未来像

韓国の創作ミュージカル「ペスト」。2016年7月20日~9月30日。LGアートセンターにて上演中。開演前のアナウンスが面白いLGアートセンター。今回つい忘れてて、ぎりぎりに入ってしまったのが悔やまれる。ともあれ、見てまいりました。・・とはいえ、 私がみたのは1月以上前(現在9月)のこと。その後ソロパートが増加したり演出に変更が加えられたりしたという風の噂を聞いております。状況はかなり改善しているらしい、という話もちらほら。ですのでこれは、あくまで(相当イマイチ感の強かった)初期「ペスト」の感想ということで、私の見て来たキャストはこちら!

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リウー:パク・ウンソク

タルー:オ・ソヨン

ランベール:ユ・ヒョンリョル

み、未来?

ミュージカル「ペスト」は伝説のK-POP(という言葉がなかったころの)スーパースター・ソテジの曲を用いたジュークボックスミュージカル。韓国の創作ミュージカルとして、カミュの原作をどのように消化するのか(とい うか、再創造するのか)、ソテジの曲といかに調和させるのかに期待がよせられておりました。で、ふたを開けてみるとみんなびっくりの「SF」設定。しかも、この斬新な解釈が成功したのか?といわれれると「うーん、うーん、うーん」とうなる人は少なくないであろう完成度(ごめんなさい)。まあ、かつて90年代に「新世代」と呼ばれた韓国のワカモノ達の神・ソテジが彼らに夢見させたのが「いまこことは異なる未来(抵抗)」であったのだとしたら、このミュージカルには「あのころ」の未来が詰め込まれている・・と読み取ればいいのか・・な?

なにせ、そこに描かれた未来はなんだか90年代臭漂う「未来」。たとえば、記者のランベールが配信するために記事を入力するシーンがあるのですが、3Dな空間に「手打ち」。音声入力をはじめとしたほかの入力手段は発達しなかったのだろうか。また、博物館では相変わらず「かつて用いられていた歴史的なモノ」がケースに入れられ展示してある。博物館の展示技法や思想は全く変化しなかったのか・・などなど。そこに描かれているのは、2000年代以降の技術的展開の延長線上には「ない」未来なのです。うーん。シンギュラリティは来なかったみたい。

未来設定が招く困難

さて、このように「未来」の描かれ方それ自体が微妙なだけではなく、そもそも「未来」である必要はあったのか、という気がする本作。ミュージカル「ペスト」は幸せや欲望、記憶などをシステムによってコントロールされているオラン市が舞台。そこはデストピア像のセオリーに従った管理社会として描かれます。「THE MUSICAL」2016年8月号(155号)のP112-113に「デストピアに閉じ込められたジュークボックスの可能性〈ペスト〉」という劇評がジョン・スヨン(漢陽大兼任教授)さんによって書かれているのですが、ここではSF設定がカミユの原作「ペスト」を一層消化しにくくしてしまったのでは、と指摘されていました。「デストピア」は「ユートピア」の反対語なので「未来への猜疑心」を含んでいるが、そもそもカミユのペストは「今ここの生に向けた問題を提起する」ものだったはずだというのです。つまり、不条理におそいかかるペストの恐怖は、SF設定にしてしまったがために「管理社会を目指すことが招く問題」としてまとめられてしまい、今ここの存在を問うような視点が失われてしまうのだ、と。それって、カミユさんが大事にしていたはずのことが見失われてしまうという話なわけで。それはまずかろう。・・・なんで未来にしたんでしょうね。

 

※『THE MUSICAL』誌の「デストピアに閉じ込められたジュークボックスの可能性〈ペスト〉」の記事はこちらから読めるようになっています(http://www.themusical.co.kr/Magazine/Detail?enc_num=dOtqvfF%2FRO%2FsDwTAN54MFw%3D%3D

 

・・なんだか尻切れトンボですが、長文すぎるので感想は次号(?)に続くのであった!