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ミュージカル「ノートルダム・ド・パリ」鑑賞後記-難聴注意!ホン・グァンホさんの美声に酔いしれよう

ノートルダム・ド・パリ ホン・グァンホ

 ミュージカル「ノートルダム・ド・パリ」(韓国キャスト・2016年)見てまいりました。本作品は、6号線漢河鎮(ハンガンジン)駅直結で便利な「ブルースクェア」にて2016年8月21日まで上演中。一時期プレミア価格になっていた2013年韓国キャストのCDも、MDショップにて再販中でございます。フレンチ版CD、フレンチ版DVDなども一緒に売られていますので、韓国キャスト狙いの方はお間違えございませんように。

ソウル千秋楽以降は地方公演もはじまります。もう8月は飛べない・・という方も、水原や天安ならソウル市内から移動可能かなという距離感ではありますまいか。グァンホ君やマイクルも出演日がありますよ。

チンジュ9月2、3日

天安9月9~11日

大邱10月7~9日

水原10月14~16日

さて、今回見てきたキャストはこちら!

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(美声を競う、難聴必死のメンバー。マイクいらなくない?音響調節が大変そうだ)

カジモド:ホン・グァンホ

エスメラルダ:ユン・ゴンジュ

グランゴワール:マイクル・リー

フロロ:チェ・ミンチョル

フェビュス:オ・ジョンヒョク

クロバン:ムン・ジョンウォン

フルール・ド・リス:キム・グムナ

大劇場でホン・グァンホ君がみられる幸せ

ホン・グァンホの生歌声がききたい!そう思いつつも、イギリスからの帰国後出演作はジュンスさんと一緒だったり小劇場出演だったりして、なかなかチケット争奪戦に勝ち残れない状況が続いておりました。しかし、ついに今回1700席のブルースクェアに登場。チケットも入手可能なレベルで、あとは好きなキャストがそろう日程を待つばかりでございました。しかし、「ノートルダム・ド・パリ」という作品。メインとなる役柄が多く、これをすべて「(個人的)神キャスト」でそろえるのは至難の業。

ともあれ、見た感想としては「ビバ!ホン・グァンホ!」という、何の参考にもない叫び、これにつきます。劇場内に響く彼の声は、時に切なく、また力強く、カジモドの心の揺れや目覚めを表現してくれました。たとえ言葉がわからなかったとしても、その響きだけで伝わってくるものがあるだろうと確信できるような声。ともかく、一回聞いといてくださいよ奥さん!と、いうしかない「臨場感」の勝利。ありがたやー、ありがたやー、と、拝みたくなる神々しさでございました。

奪われた者たちの物語

さて、「ノートルダム・ド・パリ」という物語は、みてて「わー、(イメージとしての、ですが)ヨーロッパっぽいなー」と思わされる。教会の権力、階級の強固さ、そして男女の愛(憎)礼賛、というような要素がふんだんに盛り込まれています。

基本になるのは、美しいジプシーの娘エスメラルダに、聖職者フロロ、近衛兵隊長(?)フェビュス、そしてノートルダムで鐘つきをしている醜いカジモドの3人が恋をしてしまった(というか、もっと正確には「欲情」してしまうというべきか・・)がために起こる愛憎劇。

エスメラルダはフェビュス(イケメン)を選ぶが、彼にはフルール・ド・リスという嫉妬深い婚約者が。結局ヘタレだったフェビュスはフルール・ド・リスに「あの女を殺してくれるなら、浮気を許してあげる!」と脅されて、他方自分の権力をもって迫っても拒否られてしまったフロロは怒りによって、この二人がエスメラルダを処刑に追い込むのでした。醜い容貌をもつカジモドは育て親でもあるフロロに当初したがってエスメラルダを誘拐したりしていたのですが(をい)、やがては自分の意思で献身的にエスメラルダを助けようとします。しかしその願いはかなわずエスメラルダは絞首刑に。カジモドは復讐のためフロロを殺し、エスメラルダの亡骸を抱いて、自分もともに行くことを歌い上げるのでしたーーで、幕。という流れなのですが(あ、グランゴワールという、狂言回しの吟遊詩人と、エスメラルダの保護者で、ジプシーの親分(?)、クロバンも活躍します)。

 このエスメラルダと彼女に横恋慕するひとたちとの関係を見ていると、フェビュスの悪いやつっぷりが目立つとともに(カジモド、こっちは殺さなくていいのか?)、ある意味女性嫌悪に満ちた物語にも見える(エスメラルダは勝手に欲望された挙句に、魔女として殺されるというのですからね。ヒドイ)。

しかし今回、「うりーぬんいばんいーん!(われらは異邦人)(「LES SANS-PAPIERS」)」と歌うクロバン兄さんの力強さに目を移してみてみると、これは「奪われた人たち」の物語として見ると面白いのかもしれない、と思ったのでございます。

つまり、エスメラルダは美しいけれど、自分の意思を持ち続けそれを貫くことを社会が許してくれないような「弱者」でもある。だからこそ、彼女が最後に歌う「VIVRE」は、フェビュスへの愛をうたっているというよりは、「自分の生の主人が自分であると知りたい(韓国語歌詞より)」といように、抑圧に屈しない、自分が愛の主体でありたいという彼女の精神を表しているように思えました。

そもそも彼女が属する集団は「異邦人」であり、社会で周辺化された人々。フロロやフェビュスが象徴するような教会や王権といった当時の権力の外部にいます。だからこそ、その力に翻弄されたりもする。その意味で、「醜さ(障害)」によって社会の底辺においやられていたカジモドは、ある意味彼女らと同じような立場。だからこそ、唯一エスメラルダから何かを奪うのではなく、与えようとすることができたのかもしれません。

ノートルダムの鐘」とはちがいますよ!

ちなみにこの作品、ビクトル・ユーゴー作の「ノートルダム・ド・パリ(『ノートルダムの背むし男』)」が原作。観劇予習のためにとおもって「ノートルダムの鐘」(ディズニー映画)を手に取られる方がいらっしゃるやもしれませんが。まったく別モノでございます。これはこれで、「ディズニーパウダー」をまぶすと、ヴィクトル・ユーゴ―先生もびっくりな翻案物語が完成することを認識させてくれるのでありますがね。

ノートルダムの鐘 [DVD]

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