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ミュージカル「モーツァルト!」(韓国・2016年版)感想-ドンソク王子のキラキラぶりったら!

つ、ついに見てまいりました、2016年6月10日~8月7日まで、世宗文化会館で上演中のミュージカル「モーツァルト!」。韓国キャスト。世宗文化会館はやっぱり広いね。ちょっと広すぎですね。そして、いつの間にか女性トイレが増殖していましたね(前からあんなでしたっけ?)。トイレの中にくつろぎスペースがあるのですが、ここで何か飲んだり食べたりするのは微妙。いかなる目的のスペースとして構想されたのか。・・いやいや。心が浮き立ちすぎて本題になかなか入れません。見てきたキャストはこちら。

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モーツァルト:(ヴォルフガング)チョン・ドンソク・(アマデ)クァク・イアン

コンスタンツェ:ナンア

コロレド大司教:キム・ジュニョク

レオポルド:イ・ジョンヨル

ヴァルトシュテッテン男爵夫人:キム・ソヒョン

感想の集大成としては、「すんごいわかりやすい!」でした。物語がヴォルフガング中心に結合されていくことで、「すべてのキャラが立ってる!」と、高級炊飯器をのぞいた瞬間、つやつやのお米をそこに見たかのように叫ばずにはいられないのです(もう、たとえの意味もわからない)。小池修一郎、バンザ・・イ(ばた)。

ヴォルフガングの「変化」がとても明確

今回のミュージカル「モーツァルト!」では、ドンソク王子ことチョン・ドンソクさんのヴォルフガングに、きっちり「精神的に成長する」様子が読み取れたように思います。図体は大きくなっても(ほんとにドンちゃんは巨大だ)、「アボジらぶー!ボク天才!」という(ともすればややアホっぽい)無邪気な「おこちゃま」だったヴォルフ。彼はやがて創作の苦悩を父からの承認を得られない苦しみに置き換え、「孤独」との折り合いをつけようともがくのです。そしてついに、父をはじめとする他者からの承認に依存するのではなく、その孤独を引き受けて「自由」を手に入れることの意味を悟る・・というのがラストシーン(だと思った)。

ドンちゃんのヴォルフ演技の変化はとても明確でした。1幕前半の彼はとっても純粋で無邪気、ホントにキラキラして楽しそう。才能を謳歌している存在であるが故に、2幕に煮詰まっていく苦悩と、父の死の絶望をへて表現される闇がすごく引き立っていた。ミュージカルの本質である歌の表現力が、動きや表情と一体となりながら「演技」として完成していましたよ。

登場した瞬間から、ドンソク王子のヴォルフは異様にテンション高く、ぶっ飛ばしていたので、正直「ええ、このペースでいくの?」と不安に思ったのですが。いや、それは後半を引き立たせるための「仕掛け」だったといえましょう。あのテンション高めのアホっぽさ(スミマセン、無邪気さとでも表現すべきなんですが、なんかこっちのほうがしっくりくるような「はじけ」っぷりなんですよ)が、本当に必要だったのだな!と実感できる。

そして、ヴォルフがまさに「芸術家としての自由」を理解し、その苦悩に身を投じた時、アマデと共に「死」を迎えるのです。ヴォルフがアマデを膝に置きながら倒れた姿。それは、闇の中にさす一筋の光のような神々しさをはなっておりました。

のどの調子は気になるが

さて、チョン・ドンソク王子は先日喉頭炎で休演。その後の復帰舞台であったからなのですが。高音部分は2幕後半の「この曲で、高音出さずになんとする」曲群のために温存する戦略だったのかな、というアレンジが随所に見られました。アンサンブルが入るところでは、そちらに任せるパートがあったりもして。

とはいえ、低音パートはいつものドンソク節(っていうとなんだか)炸裂で、魅惑の音色が広がりました。音がかすれるようなことは全くなく、カバー力にもプロ魂を見ました。のどの調子は完璧ではないが、十分満足できるレベルをクリアしている状態でした。

しかし、気温の変化が激しい今年の夏のソウル。千秋楽を前に、チーム全体にお疲れモードが見られたような気もします。世宗は広すぎるし、蒸し暑いし。体力的にこれはきつよな・・、と。日々の過酷さに想いを馳せたり。

今回のメンバーで、絶好調?と思ったのは、キム・ジュニョクさんだけ。つか、ジュニョクさんのフェロモン攻撃については、また改めて書きたいと思います。ドンソク王子との銀橋(エプロンステージ)での対決ソングとか、「ここはヅカか!」と思いました。ステキすぎです。