ミュージカル「ニュージーズ」感想(まだあったのか!)-「おかれた場所で咲きなさい」的成長物語
さて、千秋楽を迎えたミュージカル「ニュージーズ」。劇中ジャックの心の叫びとして歌われる「サンタフェ」という曲が果たす役割、その魅力について書いておきたい。働く子どもの物語として、このミュージカルをうんぬんしてまいりましたが、なにはともあれジャックの成長物語としても十分に楽しめるわけでございまして。そこでこの曲は光り輝いているのでございます。というわけで、千秋楽前に公開予定だった記事なのですが、いろいろ後回しになって今頃公開。
ここではないどこかへ
「サンタフェ」という曲はミュージカル冒頭で、ジャックとクラッチによって歌われます。みんながこのニューヨークに来たがるけど、自分はここから旅立ちたいとジャックは言う。サンタフェは憧れの場所、ここにはない「夢」を託す場所なのです。映画と少しサンタフェのイメージは異なっており、ジャックの空想の家族がいる場所ではなく、家族がいなくても友達(クラッチ)とともに安心して過ごせる「帰るべき場所」として語られます。そこは、自分たちを踏みにじったり、虫けらみたいに扱うやつはいない。クラッチも足が治っちゃう勢いな(誰も問題にしない)そんな夢の場所。そして「さあ、夢見る時間は終わりだ!」といって、ニュージーズたちの朝がはじまります。ぼんやりした逃避対象としてのサンタフェ。ここから抜け出せたらという思いはあれども、そんなに強い思いではない。それなりに日々をやり過ごすジャックの姿が浮かび上がります。
他方、自分が今いる場所、社会での立場への強い拒否感、サンタフェに想いを託すしかできなくなった絶望感のなかで歌われるのが、1幕最後の「サンタフェ」。自分のせいでニュージーズたちのストライキが失敗し、すべてが水の泡に帰そうとする中、無力感にさいなまれるジャック。自分は何も成せないだけではなく、何の価値もない。そう思うなかで、すべての現実から逃げ出すための場所として「サンタフェ」を渇望するのです。
このとき歌われる「サンタフェ」は相当切ない。「サンタフェ」があくまで夢に過ぎないことをこれでもかと浮かび上がらせるとともに、それでもその夢にすがるしかない、過酷な現実。ジャックの絶望感が「息が詰まる!」「抜け出したい!」という叫びにも似た歌詞に込められ、観客にもその感情が流れ込んでくるのです。
ちっぽけな自分、その人生を苦しいほどに自覚したジャック。しかし彼はその場から逃げるのではなく、その場を変えていくことを選びます。やがて彼は、サンタフェを、いまここに出現させていくのです。
この展開、とっても月並みで恐縮ですが「あー、私もがんばろ」と思わせてくれますよ。そう、いまいる場所以外に「サンタフェ」はないのです。・・仕事しよう。
サンタフェってどこだっけ?
このように「サンタフェ」という曲の持つ力と、舞台上で発揮される効果に心うばわれつつも、頭の片隅に「つか、サンタフェってどこだっけか」というおバカな疑問が浮かび上がりもした。「列車で行ける」らしく「カウボーイがいる」らしい。こちらとしては、素っ裸な宮沢りえのイメージくらいしかない「サンタフェ」。こんなときに頼りになるのは、おなじみグーグル先生でございましょう。先生!サンタフェってどこですか。--おお、わがやのグーグル先生は日本語話者なので、画像検索結果には宮沢りえさんの写真集の画像がやたらはびこっておりますな。えーっとそれは無視して。
(グーグルマップ「サンタフェ」の場所。西よりの中ほど)