ミュージカル「MATAHARIマタハリ」観劇記ー女性的魅力は誰のものか?をめぐる戦い

ミュージカル「MATAHARIマタハリ」の感想はつづくーよ、どーこま・で・もー。こんにちは。千秋楽を迎えた韓国創作ミュージカル「マタハリ」。速攻で来年の再演が決定した「マタハリ」。やはり主人公マタハリの魅力にも迫っておきたい。というわけで、しつこく感想です。

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(第一幕のはじめに、マタハリのセクシーなダンスがこれでもかと展開する)

単なる「美女はつらいよ」物語なのか

主人公マタハリはフランス軍からもドイツ軍からも「スパイにならないか?」とスカウトをうけてしまうほど魅力的な女性。そして彼女をめぐって、自分に与えられた任務と彼女にひかれていく自分に戸惑い葛藤する二人の男が登場する物語。韓国のミュージカルブログでは、観劇後記に「最終的には、美人は大変だと思った」とうミもふたもない感想をかかれている方さえいらっしゃるのですが。まあ、確かにそう思わなくもない筋書ではございますが。が。この、つらさの源である「美人」要素を女性的な魅力と読み替え、このミュージカル「マタハリ」は、女性的魅力をめぐる男女の攻防を描いたものだったのだと考えてみると、(個人的には)俄然面白くなったのでございます。はい、いつものように斜め方向(あるいはあらぬ方向というべきか?)からの感想となりますよー。カッテ解釈でばく進いたしますよー!

マタハリにとっての「踊り」

マタハリがラド大佐に脅されてスパイを引き受けることになった理由として、彼女の過去が持ち出されます。それは、オランダで結婚していた際に受けた夫からの仕打ち。夫の性的暴力によって傷ついた女性(メイド)からの復讐によって子どもまで失った体験。かつて妻であり、母であった彼女は、母であることを奪われ、妻であることが恐怖であったわけで。そこから抜け出そうとして見出したのは、インド風のセクシーなダンス。その堂々とした女性的魅力に心奪われ、自分も踊ってみたいと切望するのです。つまり妻や母という役割をはたす中で奪われ踏みにじられてきた女性らしさ(セクシーな魅力を含めた)を、自分の中に取り戻すための手段がダンスだったという設定。

彼女はアルマンを、オランダ人のマルガレータとして愛そうとすると同時に、「私がマタハリになるところを見せてあげる」と言って、舞台で踊る自分を見せてもいます。このシーンが意味するのは、彼女にとっては、マタハリとして踊ることもやはり、アルマンに理解してもらいたい大切な自分の一部だったということではないでしょうか。

対として描かれる男性性

他方、この作品中に登場する男性は、いずれも男性的要素を強くまとった存在として描かれています。たとえば、「軍人」であること、「地位」や「名誉」を貴ぶこと。「攻撃」「勇気」といった価値を重視すること・・。こうした「男らしさ」と結びつきやすい要素が、男性キャラクターを形作るとともに、行動に影響を与えているのですから。この作品において、これらの男性性は、マタハリが体現する女性性と混ざり合わないものとして対峙されているように思えます。だからこそ、彼らは女性的魅力にあふれたマタハリを、自由な一人の人間として「愛する」ことがかなわない。作品に描かれた彼らは彼女を、支配したいもの、所有したいものとして「男らしく」欲望してしまう。

一見マタハリと対等にみえるアルマンも、ラド大佐の命令に背く=男性社会の秩序からはみ出すことができないことに、変わりはありません。このことを感じさせる、2幕最後の裁判シーン(アルマンは、すべてを捨ててマタハリを助けに来ることはできなかった)は、マタハリにとって、男性が信頼に足る存在で、自分を解放してくれるかもしれないという最後の希望を打ち砕く瞬間に見え、とっても痛い。まあ、アルマンはほんとに殺されちゃったのかもしれないので、ここの(自分の)解釈が微妙だな・・と思いもしておりますが。

舞台に立つように処刑場に立つ理由

 このように、自らの女性性を踏みにじられ、それを自分の手に取り戻そうともがいた女性の物語として「マタハリ」を読み解くと、最後の処刑場のシーンは一層光り輝く(気がする)のです。

マタハリの衣装係であり大切な友アンナも、母のようにマタハリを癒し、スターとしての彼女を支え信頼を得た存在以上のものとして見えてきます。アンナもまた、自らの女性らしさを自分のものとして表現したいと切望していた一人の女性であり、社会から押し付けられる役割ではなく、自分が選び取る役割として「女性」でありたいと願う人だったのではないか。だからこそ、舞台上のマタハリを、自分と同じ夢を生きる存在として、見ていたいと思っていたのでは(アンナの歌が心にせまりますよ!)。アンナが作る衣装が、セクシーで女性的な繊細さや曲線美、柔らかさとはかなさにあふれているのを見ると、その夢がマタハリが望んだものと同じものであったのだろうことを推測させてもくれるのです。

だからこそ、アンナがマタハリに最後の衣装を用意し(それはシースルーで、マタハリの女らしい魅力を最大限に強調するような衣装)、マタハリに着せるシーンは一層泣けます。仕組まれた裁判の結果、マタハリは権力(男性によるルールと言い換えてもいいのかもしれません)に敗北します。そこで味わったのは、オランダにおいて夫に翻弄された時と、同じ絶望だったことでしょう。

絶望の中で処刑場に立つ彼女は、それでもアンナに衣装を持ってきてくれるよう頼むのです。それは、自分の魅力を誇示するため。誰に媚びるのでもありません。自らの「女性らしさ」を誰にも奪われないことを、高らかに宣言するためなのです。処刑場に送る男たちの誰にも、自分は支配されたり所有されたりしないのだと、示すことだったのではないでしょうか。

女性が、女性として生きることの困難を描く作品。愛の三角関係として楽しむモードはのこしつつ、男と女の対決バトルミュージカルとして見ても感動できる。そんな作品だったなーというのが感想でございます。しかし再演するとしたらどんなキャストになるんですかねぇ(オク・チュヒョンさん抜きは難しそう・・)。

 

(「マタハリ」のあらすじはこちらに詳細があります)

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