速報・ミュージカル「ニュージーズNEWSIES」みてきたよ-映画版よりはるかに面白い!

現在韓国で「アジア初演」中、ディズニーミュージカル「ニュージーズ」。ついに見てまいりました。妄想は一見にしかず、妄想したいならば一見の後に(?)と実感。そしてディズニーの本気力、映画でこけてもタダでは起きないそのパワーに畏敬の念を抱いたのでございます。

映画版と何より違っていたのは、ニュージーズたちがちゃんとストをしていたところ。自分たちの主張を真剣に通そうと思っている様子が伝わってきたところではないかと。彼らは本当に「怒って」いた。映画版って、その辺よくわからない気がしたんですよね。

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(映画版は踊ってばっかりの印象、この人たちは踊りつつも本当にストしてました。)

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ミュージカル版では、彼らの「怒り」ポイントがかなり明確化されていましたよ。上の映像のはじめに「The World Will Know」という曲が紹介されていますが、ここで新聞売りの少年たちは自分たちの権利を歌い上げ、ストの開始を決意します。この歌で、彼らが自分たちの仕事を誇りに思っていること、だからこそ、奴隷のように扱われる(価格を勝手に変更される)ことに怒りを感じていることが表現されます。そして自分たちが無力な存在であることを認識してもいる。しかし、そんな存在がたくさん集まることで力を持ちうることを信じてもいるのです。

映画版では「さーなんかやらかすかー!いえーい」みたいな軽さがあったのですが(あくまで個人の感想ですよ!)。ミュージカル版では、ここんとこ、もっとシリアスに迫ります。これまで自分たちの中にあった何かが、この瞬間に明確に言葉にされていくような、爆発するような感情が示されていました。いうなれば、弱者の怒りが表現されている。こうした表現を韓国語で聞くと、なんだかすんごく強く心に響いてきた。

何でここまで強く迫る感じがあるのか。その理由を考えてみました。・・・そして、おそらくこの時、自分のもつ韓国社会へのイメージが、この曲の解釈に入り込むような体験をしていたのかも、と思い至ったのでございます。

韓国社会でも「政治の季節」のピークは過ぎ去りつつあるのかもしれません。それでもまだ、自分たちの主張を高らかに歌い上げることへのためらいのなさのようなものがある気がします。それは、日本の社会ではもう、あまり表面化してこないような感情や社会への期待の持ち方なのではないかなと。だからこそ、こうしたイメージ込みで韓国語歌詞が迫ってきたのかなあ、と。

たとえばブロードウェイで「ニュージーズ」を見たとしたら、このシーンにはもちろんワクワクするだろうけど、そこに込められた切実さ、弱さの自覚とそれでも主張をやめない決意が、見る側のリアルな実感にどこかで結びつくような感覚として迫ってきたかな?と思うのです。ちょっと距離をおいて「作品」として眺め、楽しみ、それで完結してしまいそう。もちろん、そのように楽しむことのできるレイヤーも、韓国版「ニュージ―ズ」にはあるのですが。

というわけで今回、ミュージカルには、その国の文化や社会のありかたが否応なく物語作りや訳詞に入り込むだけでなく、見るほうの解釈にも影響してくるのだなあと実感しました。たぶん韓国の人が見るのとはまた、違った感想になっているのでしょう。でも「アジア」で演じることの面白さを、そして「韓国」ミュージカルの面白さをあらためて実感した作品でもありました。

と、えらいまじめっぽいことを書き連ねましたが。今回はあくまで「速報」ですからね。まだまだあるよ!書くことは!

ということで、しばらく感想は続く・・。