韓国ミュージカル☆ライフ

韓国ミュージカルを楽しみつくすブログ

「ヘドウィグ-ニュー・メイクアップ」見てきたよ!(前編)-女神降臨

「ヘドウィグーニュー・メイクアップ」2016年、韓国版見てまいりました。今回お会い出来たヘドウィグさまは。

なんと!

チョ・・

・・・スンウさん!!

 

・・・・ではありません。チケットとれませんでした-(羽鳥アナウンサー風に読んでください)。

失礼。えー、先日書いたフォトスポットに関する記事を読んでくださった方は、すでにキャストボードをご覧いただいるかと存じますが。私がお目にかかったのはもう一人の「チョ」氏、絶対見るぞ見るぞと息巻いていたチョ・ジョンソクさんのニュー・メイクアップです。さっそく、行ってまいりましたよ報告をさせていただきましょう。と言っても、見てから相当時間がたっちゃったのですが。実は。

f:id:pokos:20160502110102g:plain

さて、いきなりどうでもいい話ですが、この写真のジョンソクさん、NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」でヒロインをつとめる高畑充希さんに似てないですか・・?なんかすべすべで。

www.youtube.com

あらずじなど(ネタバレあり)

ご存知の方も多いとは思うのですが、一応あらすじなどをまとめておくことといたしましょう。まず、このミュージカルが上演される劇場は、ヘドウィグの開くライブの会場という設定。彼女(と言っておきますが)は大人気のロック歌手トミー・ノーシスがライブを開催するたび、その近くでライブを開いています。それは、なぜか。ヘドウィグのライブでは、音楽とその合間のトークによってその理由が語られていくのです。それは、彼女の「(魂の)半身」を探してさまよう人生の物語。

おなじみ韓国のWikiサイト、ナムWikiでは、「前世に国を売り払ったのか?」と形容されるほどの波乱万丈人生が展開します。彼女が生まれたのはベルリンの壁ができたその日。名付けられた名前はハンセル。壁の中の生活で、心惹かれたのが米軍ラジオから流れてくる音楽だったーー。じ、時代を感じる設定ですよ。韓国のミュージカルファンの平均年齢は20代ー30代中心。ベルリンの壁を記憶として知っている人がどれだけいるのかわからないですが、ともかくそういう設定だ。今は何年だ。

ある日、彼はアメリカの軍人に見初められる。二人は結婚することに。彼に迷いはありませんでした。この壁を越えて、憧れのアメリカへいける力を手に入れられるから。でも、重要なことが一つ。彼は「性転換手術」をうけてから「結婚」しなければならなかった。彼は自由を手に入れる代わりに、自分の「性」を壁のこちら側に置いてゆけと言われるのでした。母はそんな彼に、自分のパスポートと、ヘドウィグという自分の名前をあたえた。んが、一つ問題が!実はこの性転換手術、見事に失敗。彼の股間には、1インチのブツが残ってしまった。これが、彼女の率いるバンドの名前「アングリー・インチ(怒りの1インチ)」の由来なのです。しょっぱなから飛ばす設定です。

ここで「アングリー・インチ」が残ってしまうことで、ヘドウィグという人物は単に「女」になったわけではない、っていう設定が面白い。名前も「母」からの借り物だしね。最終的に、物語は「オトコ」「オンナ」ということを無効にしていくような方向性を持っているのですが。ヘドウィグは「アングリー・インチ」を体に残すことで、どちらかの性に明確にふりわけられちゃう存在に「ならない」ことが大事だったんだな、と思うのです。

さて、アメリカに渡ってからも波瀾万丈。結婚した相手は、ベルリンの壁が崩壊したその日、結婚1周年記念の日に彼女を捨てて去っていってしまった。その後生きるためにベビーシッターや、男性の「ムスコ」の面倒を見ながら(下ネタ・・)日銭を稼ぎつつ、子どものころからあこがれていたロック歌手を目指してバンドを結成します。その時、「仕事先」で出会ったのが少年トミー。やはりロック歌手を目指す彼は、聞いてみるとその音楽センスはドン引きするようなダサダサ君。でも、ヘドウィグは彼に愛を注ぎ、自分の才能を惜しみなく分け与えた。トミーもそんな彼女に恋をしたかのように思えたのですが・・。「アングリー・インチ」の事実を知るや否や、彼女を拒み、あろうことか彼女が作った曲を持ち逃げしてしまう。さらには、その曲と美貌で人気のロック歌手になってしまった。彼女が彼に与えた、トミー・ノーシスという名前を使って。その後も、トミーは一時表面化したヘドウィグとの関係を完全否定。ヘドウィグは彼に自分のことをみとめさせようと、このライブ追っかけライブツアーをおこなっているのでした。

いやあ、踏んだり蹴ったりですな。でもってこの後、ミュージカル終盤から、舞台の物語はちょっとこみあってきます。ヘドウィグのライブ会場(ミュージカルの劇場ね)は、ドアを開けるとトミーのライブ会場の音が流れ込んできて、彼がどんな風にライブをしているのかがうかがえる、という設定になっているのですが。

開いた扉から、聞こえてくるトミーの声。最後の曲の前説をしているようです。そしてそこでーー、ついにトミーは、曲を作ったのがヘドウィグであることを観客に告白しているではありませんか。それは、ヘドウィグの念願がまさにかなった瞬間でした。

あれだけ熱望してきた、トミーからの承認。自分の存在を肯定されたヘドウィグは、ふとつきものが落ちたように、ライブ会場でトミーに怨念を送る派手に着飾った自分を脱ぎ捨て(まさに、衣装を脱ぎ捨てていく)、バンドメンバーで「夫」であるイツハクに「女装すること」を捨てさせていた、そのゆがんだ感情も手放します。そして、ハンセルであり、ヘドウィグであり、またそのどれでもないような、「自分」に戻っていくのでした。

そしてその姿は、ライブ会場の奥に空いた扉、光のさす扉の向こうへと歩いていくシルエットとして、すいこまれていくーーで、幕。

最後は一瞬見失いそうになった

この最後部分、トミーが歌うヘドウィグ作の曲が流れるシーンですが。ヘドウィグがカツラを取り、服を脱ぎ捨てた姿で「トミー」として歌います。そしてそのあと、ヘドウィグ自身が、かつらや派手な衣装を身に着けることをやめた姿になっていくシーンが展開する。なので、「え、あの、額になんか印つけてる人だれ?」「いまどういう状態??何で服脱ぐの?」と戸惑うやもしれません。

ここの解釈はもしかしたらいろいろあるのかもしれませんが、ヘドウィグを演じている俳優さんは、まず、ここで二役目として「トミーを演じる」ことになる。額に印をつけて歌うのは、隣でコンサートをしているトミーという設定なのです。しかし同時にそれは、ヘドウィグの俳優さんに演じられることによって、トミーを自分の半身として追いかけ続けてきたヘドウィグが、その半身を取り戻していくシーンとしても成立するようになっているのではないか。つまりあそこは、「合体(?)」のシーンなのだ、と解釈しました。

だからこそ、そのあと、ヘドウィグはもうトミーを追う=半身を求めさまよう必要はなくなり、ヘドウィグであった自分を捨てるのです。

・・たぶん。

で、チョ・ジョンソクさん

で、チョ・ジョンソクさんはどうだったのか、という話なのですが・・。取り急ぎお伝えしておきますと、超、カワイかったぜ!

(スミマセン!後半へ続く!)