韓国ミュージカル☆ライフ

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ナショナル・シアター・ライブ『フランケンシュタイン』感想つづき-ビクターVS怪物について その2

間が空いてしまいましたが、引き続きナショナル・シアター・ライヴ「フランケンシュタイン」の感想、特にビクターと怪物の関係について第二弾でございます。前回はこの演劇版「フランケンシュタイン」の物語を説明している途中に力尽きてしまいました。核心部分の感想がかけていないので、しつこく続けております。いましばしおつきあいいただきたく。

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(はりこむ画像も底をついてきた)

北極の二人

で、前回のあらすじ説明の続きから。ビクターと結婚式をあげ、初夜を迎えたエリザベスを殺してしまった怪物。銃を向けつつもその怪物を撃ち殺せなかったビクターは、逃げた怪物をおって北極にやってきます。いよいよラストシーン。はるばるきたぜ北極!

北極でもシャツに革ジャンのようなものをはおっただけの軽装な怪物。最初北極にいるって忘れそうになったよ的「秋」なファッションで登場。そこにもっこもっこに毛皮を着込んだビクターが乗り込んできます。ビクターにエリザベスを犯し、殺した感想をのべる悪趣味な怪物。でも、エリザベスの優しさや暖かさを思い出し、殺してしまった自分の衝動を恥じてもいるようです。しかしどうしようもなかったとも思っている。あれこれビクターに語りかけていたのですが、ふと気づくと、動かなくなっているビクター。あれ、寒かった?とばかりに怪物はあわててビクターを抱きかかえ、持ってきていたワインを飲ませます。

そのとき怪物は言います。自分はビクターに愛してほしかったのだ、孤独になるのはいやだ、死なないでほしいと彼を揺さぶり、哀願するのです。

するとどうでしょう!

息を吹き返すビクター(え、死んでなかったの?と、ここで見ている人10人くらいが思ったはず)。そして怪物をみあげ、突然こんなことを言う。

(うろ覚えなんだけど)自分はこれまで愛を理解できないような存在だった。それはお前と一緒だ。俺たちは似たもの同士だ。だから、俺は死なない。俺はお前をこれからも追い続けてやる!さあ、逃げろよ!

とかなんとか。

奥さん!あらあらまあまあ、な展開ではございませんか。

それを聞いた怪物は嬉々として立ち上がり、追って来い!とばかりに意気揚々と歩き出す。そして、そしてーー。ビクターはその後を必死に追いかけていく。やがて二人が北極の果てに消えて・・・幕。

任侠モノだったの・・か?

最後のシーン、見ていたときは一気に気持ちを持っていかれる展開で、胸アツで涙が出たりもしたのですが。ちょっと頭が冷えてきて考えてみると(そしてあらためて書いてみると)。なんだあの展開は、という気がしなくもない。というか、どんだけラブラブなんだあの二人は!という結論ではないですか。

特に最後。「ここまで追いかけてきなさいよぉ」「おーい、早いよ、まてったらぁ」うふふ、あはは。みたいな、海辺のいちゃいちゃカップルとどこが違うというのか。いや、違わない。というか、違いが見えません、先生!という気分です。シリアス化パウダーが振りかけてあるだけです。

こうなってくると、怪物の伴侶を完成間近かに破壊したのはなぜか、という解釈も変わってこようというものです。夢に出てきた弟の言葉に影響され、異形のものをこれ以上作っていいのか、という人体創造の葛藤や倫理がその理由では「ない」のではないか。いや、ないだろ、違うね、という。

それ、怪物は俺のものだ、永遠におれのものだ!だから伴侶など俺が壊してやる。憎めー、憎めー、俺をもっと憎めー。俺は愛など知らぬ!憎しみこそが俺たちの絆だ、っていう展開だったんじゃないの、と思わざるを得ない。

最後、逃げる怪物とそれを追うビクターは、細く長く続く道をふたりで歩いてゆくのですが。脳内再生したこのシーンにはもはや「唐獅子牡丹」が流れてきますからね。どう考えても昭和残侠伝シリーズが原作でしょう、という「道行」っぷりです(並んでないけどさ)。

えー、やや暴走しておりますが。昭和残侠伝シリーズの道行をご存じない方に説明しておきますと。これは高倉健さん主演で東映が製作した仁侠映画のシリーズでございます。これらのシリーズでは、映画の最後、敵地に殴りこみをかけるシーン直前に、健さんとその心意気を理解するアツい友情というか義理人情というかで結ばれた池部良(が演じる役どころの人物)が、人気のない道をしっとりと歩くパートがかならず挿入され、二人の絆の深さが表現されるのです。このシーンを「道行(みちゆき)」と呼ぶ(国語辞典的には本来男女の道中なのですがね)。

英国ナショナルシアターと、昭和な仁侠映画に通じるものがあるとは露知りませんでした(通じてない、という説も)。

韓国ミュージカル「フランケンシュタイン」との「ツボ」の違い

さて、本作品を韓国ミュージカル「フランケンシュタイン」と比べてみますと。韓国ミュージカル版の怪物は、正しくビクターに「復讐を果たす」存在として描かれていたのだなあと再認識。それはまた、韓ミュのビクターが、NTLのビクターほど「愛を知らない」人物ではないからでもある。孤独なのは怪物であって、それをビクターにも理解させることが韓ミュ版の主眼にはあるわけです。だからこそ、韓ミュ「フランケン」が、どこか怪物のビクターへの片思い感(失礼)をイメージさせる。怪物の孤独が心に残るのです。そして、それこそが乙女をもやもやさせもするのですが。

他方、人を愛せないこと、異端であることがより強い二人の絆を作り出してしまう演劇版「フランケンシュタイン」は、がち相思相愛な二人の姿を確認するための作品となっております。孤独な魂が結びついちゃうよ、というわけです。それはそれで、乙女の心をアツくさせることでしょう。

みなさまはどちらの結末をお望みで?

ええ、だいぶん、ゆがんだまなざしが含まれておりますことを、あらかじめお断りしておきます。

pokos.hatenablog.com

 この結末の後、おもわず「SHERLOCK」シリーズ、見直してしまいました。