韓流ドラマか!と突っ込みたくなるEMKミュージカルカンパニー代表の半生を紹介してみる

ミュージカル『モーツァルト!』のキャストクイズという広報戦略がなかなか斬新ですなーと思わせてくれたEMKミュージカルカンパニー。さらに、その後に起こった騒動も戦略?と思わずにいられない、この制作会社の代表の半生が韓流ドラマなみに面白い。彼の経歴を見ていると、韓国のエンターテイメント業界、特にここ数年で急激に伸びてきているミュージカル業界が、いまだ挑戦につぐ挑戦を要求する「若い」業界なのだと実感できます。というわけで、今回はこの会社の「代表」の物語に迫ってみたい。もう、どこに行くのだこのブログ、という感じがしなくもないのですが。

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EMKのホーム―ページはこちら EMK Musical Company

 

上記のホームページ画面にSHOP紹介されておりますように、ほかの制作会社に比べてOSTを発売してくれる率がとても高く、勝手に好感をもっているこの会社、EMKミュージカルカンパニー。ウイーンをはじめとしたヨーロッパ系ミュージカルのライセンスを積極的に買い込んで成功しており、ミュージカルは歌でしょ、歌!というポリシーもはっきりしています。しかしその一方で、エンタメは儲けてナンボ、スターマーケティング万歳!文句あっか!というケンカ上等感もあり、「アートへの愛でたべていきたい」みたいな夢男でない経営感覚も持ち合わせていらっしゃる。

というわけで、今回は、このミュージカル制作会社代表オム・ホンヒョンさんの半生。その「韓国的物語」に注目です。はじまり、はじまりー。

 

で、オム代表。どんな人かというと・・。インターパークのPLAYDBに登録された写真がこちら。

http://ticketimage.interpark.com/PlayDictionary/DATA/PlayDic/PlayDicUpload/040004/09/02/0400040902_13000_022.gif

代表は現在40代前半なのですが、写真によってはもうちょっとふっくらしたり、おっちゃん度が増したりもします。

彼のインタビュー記事は一時期あちこちに掲載されていたのですが、ここでは代表的なものとして『韓国経済』2015年10月23日記事を参考することに。

www.hankyung.com

まず、彼の理想とする人物が、いまや大財閥となった現代グループの創始者鄭周永(チョン・ジュヨン)。1900年代初めに江原道の寒村で生まれ、苦労しつつたたき上げで現代建設を創業、自動車、重工業などにも手を広げ、一大財閥を形成した、韓国の松下幸之助。現代百貨店にはいつもお世話になっています、と手を合わせたい人です。

オム代表も鄭周永同様、江原道出身なんですね。地方都市に生まれた青年は、同郷出身の成功者を目標に、二十歳のとき4700ウオンだけをポケットにいれて上京。米の配達から仕事を始めたのでありました。

と、ここの部分読んですぐ。ちょっとちょっと、そこ、そこんとこ、創ってんじゃないですか、とつっこまずにはいられなかった、心の汚れたわたし。

オム代表が上京したのは年齢からしても1990年代はじめ。当時の物価を考慮すると、今でいう1500円くらい持って上京したような感じかな、と思われます。4700ウオンっていう、端数感のある数字もすごくリアル。そして、「身一つ」で田舎から出てきたという「帰れない」感。この、リアルすぎる点にますます創作的物語を感じる。しかも、初職が米関連。彼の敬愛する鄭周永も、二十歳くらいの時に米屋をやってるんですよね。米から始まる二人。怪しい。怪しすぎる!

ともあれ、そういうシンクロがあってこそ、より鄭周永を尊敬したのかもしれないから、ということにして。次に行ってみましょう。

上京したオム代表は、めきめき商才を発揮。友達と始めた小さな屋台を成功させると、ジーンズの卸業などにも手を広げ小金を稼いでいきます。そして気が付けば、上京して10年以上の月日が流れていました。青年(つか中年)になったオム代表。なりふりかまわず稼いできたお金をみて、いつかやってみたいと思っていた公演事業のことを思い起こします。いまこそミュージカル界に殴り込みをかけてやる。お金を握りしめて決意するオム青年。俺は、ミュージカルで成功する!そして儲けてやる!!。それは、まだまだ韓国のミュージカル市場が未成熟だった2004年のことでした。ジャジャジャン(あ、ここら辺はすでに私の妄想はいってます。記事には「お金が集まったので、やってみたかった公演事業を2004年にはじめた」とあるだけですので。失礼)。

オム代表はその年、一つの作品に出合います。彼が目にしたのはチェコミュージカル「ドラキュラ」の映像。「これだ!」、思った瞬間彼は8000万ウオンの契約金を手にチェコへ飛びます。決断早いね!

初めてのお使い、ならぬミュージカル制作。お使いどころではない大金40億ウオンを投資して2006年に上演。しかし現実はそう簡単ではありませんでした。彼に残ったのは20億の借金だけ。借金取りから逃げ回る日々が始まります。

場末のさびれた「旅館」でぼんやり天井を見つめる日々。オム代表は自分に問いかけます。俺はこのまま終わるのか・・。天井の模様がにじみます。そして、そして、彼の出した答えは「否」でした。「俺はミュージカルの素人だった。もう一度、もう一度だけやってみよう。やめるのは本気で挑戦してからでもいいじゃないか」。

彼は「ニッチな市場」を真剣に探します。そして出会ったのがヨーロッパミュージカル。しかし、ヨーロッパのカンパニーに出かけても、実績のないオム代表は「君は本当にミュージカル制作者なのかい?」と冷たくあしらわれます。くじけそうになるオム代表。そんな時は鄭周永の不屈の意思を思い出しました。お、おれを守ってくれ、鄭会長!。

歯を食いしばってくらいついていくオム代表。やがて、ヨーロッパのカンパニーの人たちも、彼を認め始めます。「君には参ったよ、ホンヒョン」。そういって握手を求められた瞬間、オム代表の目からは、熱い涙が零れ落ちたのでした・・(いや、妄想ですってば。門前払いされながら、苦労してライセンス契約した、という点は事実です)。

懲りずに続けますと・・。

ついに彼は「モーツァルト!」「エリザベート」のライセンスを獲得。その後韓国ミュージカル市場にヨーロッパ旋風を巻き起こしていきます。その後のEMKの大躍進は言をまたないでしょう。

会社も次第に大きくなりました。安定、そんな言葉も頭をよぎります。しかし彼はまだ、挑戦することをやめてはいませんでした。韓国発の創作ミュージカルを作ろう。これまではライセンスを買ってきたが、これからは売ってやる!そうしてできたのが250億ウオンを投じて作られた「MATAHARI」。そう、「MATAHARI」なのです!

ーーオム代表の挑戦は、今日も続きます。

 

以上、新聞記事から読み取れるオム代表の半生を、妄想成分7割投入でお送りしました。原文は上記リンクからどうぞ。メアリー・シェリーの原作と韓国創作ミュージカル「フランケンシュタイン」の物語くらい違うかもしれません。もう少し妄想投入してよければ、ラブラインもつけられたかも。え、いらない。

まあそれはそれとして。新聞記事だけ読んでもでき過ぎ感は否めないのですが、韓流ドラマチックな半生であることに間違いはございません。しかも、彼が売ってるのは金融商品とかネットビジネスではなく「ミュージカル」。これが彼の半生の物語のエンターテーメント性をアップさせているように思います。情熱大陸とか、プロジェクトXとか作ってほしいくらい。

 

まあ、韓国の芸能業界においてドラマチックな半生はあふれている、といえばそうなのですが・・。こういう、キャラクター化、結構嫌いではなかったりします。