韓国ミュージカル☆ライフ

韓国ミュージカルを楽しみつくすブログ

ミュージカル『ジキル&ハイド』(日本キャスト・2016年版)鑑賞記‐とりあえず「愛」一択で。

最強のキャストで待望の再演!というアオリで開幕し、現在地方公演中のミュージカル『ジキル&ハイド』日本キャスト。今更ながら見てきました報告。たしかに、最強だったよ!と擬人化された東宝さんの手をがっしり握りたい。石丸幹二、濱田めぐみ、笹本玲奈という、歌えるぜ、俺は歌えるぜ!というキャスティングです。

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おおっと、すでに韓国ミュージカルライフとうタイトルからずれ始めておりますが。まあ、PPIOKKOのほうがもっと関係ないので、いいことにしておきます。

 

 (ミュージカルとほぼ関係のないPPIOKKOについての記事は以下)。

pokos.hatenablog.com

 『ジキル&ハイド』といえば今どきの若者にはモンストのほうがなじみ深いやもしれませんが、ロバート・ルイス・スティーブンソンの『ジキル博士とハイド氏の奇妙な事件』を原作としたミュージカル。どんなお話なのか、独断と偏見でお送りしますと。

 

(あらすじ)

心を病んだ父を助けるべく善と悪の心を分離する薬を研究開発中のヘンリー・ジキル君は、病院の倫理委員会(だっけ、理事会か)で人体実験を禁止されてしまったからさあ大変。俺の発明は人類を救うのに!うきー。

むしゃくしゃしていると友達のアターソンが「気晴らししようゼ!」と夜の街につれていってくれました。でも研究のことが頭から離れないジキル君。娼婦のルーシーに色っぽくせまられても上の空。むしろ彼女の一言で、自分を実験台にすることをおもいついちゃったからさあ大変。さっそくかえって試さなきゃ!あ、ルーシーっていうの、君。まあなんかあったらウチおいでよ、と名刺を渡して帰っていきます。哀れルーシー、自分になにもしないジキル君を、「いい人」認定。心惹かれてしまうのでした。

ワクワクしながら帰ってきたジキル君。自分人体実験さいこー!と輝かしい未来を想像して「時が来た」を歌い上げます(この曲はとっても有名。この作品ジキル役一番の見せ場)。

怪しげに輝く薬を一気飲み。するとなんだか体が熱くなって・・。そう、善悪を分離して取り出すどころか、自分でもコントロール不可能な「悪」を象徴する人格、ハイドを生み出してしまったのです。おれ生きてるぜ!と解放されたよろこびを歌い上げ、ロンドンの町に繰り出すハイド。そこで病院の倫理委員会のメンバーを殺しまくるのでした。ジキルを慕っていたルーシーにも興味津々でせまります。

・・って長くなってきた。あ、婚約者のエマの話とか書いてないわ。えーっと、ジキルにはエマという美しい婚約者がおります(って、それだけかい!)。

ハイドの存在に気付いたジキル。なんとかコントロールしようとするのですがうまくいかない。どんどんハイドに支配されていく。さあどうしよう!誰にも相談できないよー。おれおれ詐欺にかかってしまったお父さんのように悩みます。

 

(以下クライマックスのネタバレです。ご注意を)

 

ハイドがルーシーを狙っていることに気づいたジキル。ルーシーにいますぐ逃げるように指示します。しかし時すでに遅し。ルーシーが旅支度をしているところに、ハイド登場。無残彼女は殺されてしまうのでした。

ルーシーを殺した瞬間、ジキルの意識が戻ってきます。「ひょえー、やっぱ殺しちゃってた!」葛藤マックス。薬を用いてハイドを殺してしまおうとするジキル。それを阻止するハイドの人格。ジキルとハイドの「CONFRONTATION 対決」が歌われます(この対決シーンが超見どころ)。

はたしてジキル君はハイドをねじ伏せることができたのか・・。最後はジキルとエマの結婚式のシーン。善の人格を維持することに成功したように見えるジキル。しかし幸せの頂点で再びハイド登場!ハイドに変貌したジキルは、参列者を殺害します(倫理委員会の殺し残し)。友の変貌に驚きつつ銃をとる親友アターソン。エマの呼びかけで一瞬正気に戻るジキル。アターソンに自分を撃てといいます。でも「う、うてない!」と友が躊躇しているうちにハイドが再びエマを狙います。「はうっ、そらいかんぜよ!」とハイドを撃つアターソン。銃弾に倒れたその姿はジキル君でありました。エマがそれをみとって、終幕。

・・・えらく長くなってしまいました。知ってる人には自明のあらすじ。お粗末さまでございます。

 

で、今回の『ジキル&ハイド』。みなさんの歌唱力に関して文句はないのですが、わたしが声を大にして言いたいのは、「もっとエロいハイドが見たいのよーっ、おうおうおう」ということでございましょうか。

石丸幹二さんは、思い込んだら一つの道を~とばく進しちゃうちょっと困った真面目ジキル博士がすごくはまってた。娼館にやってきて、ルーシーに迫られても研究のヒントをおもいついちゃうような「理系君」。あくまでも自分と同じ階級に属す婚約者エマを愛しているのも、ある意味彼の世界狭い感をよく表していて、ジキルというキャラが一貫していたのではなかろうか。なので「時がきた」では、わーいうれしいなー、がんばるぞー、というキラキラさが全面にでて、おもわず応援したくなったりもして。しかし、ジキルのキラキラ度が高すぎたのか、ハイドになってからも、その優等生ぶりが完全に抜けきっていなかったような気がするのです。

プログラムブックに記載された石丸さんのインタビューでは、ハイドを「野生状態の人間」「自由で解放」された存在としてとらえている様子がうかがえました(プログラム2016版より)。なので、今回のハイドにとって「欲望」は全面におしだす必要のない感情だったのかもしれないけど。

そもそも、ジキル君には日本男子的な性欲薄目感がありましたから、解放されてもエロエロハイド降臨とはならないのやもしれません。濱田めぐみさんのルーシーがセクシー度多目(当社比)であったがゆえに、ハイドがやや遠慮がちに胸をおさわりしつつデュエットする「DANGEROUS GAME 罪な遊戯(あそび)」では、歌に酔いしれるというより「もっとあちこち触らんか!」「がーっといけ、がーっと!」と、セクハラおやじのように(心で)さけばずにはいられなかったのであります。だってそんな風に遠慮されたら、かえってこちらがはずかしくなってしまいますわ!

エロ度が低いため、ハイドは「解放されたぜ、きゃっほー」感あふれる試験明けの中学生男子みたいな印象がぬぐえなかった。もう少し、「ワル」であってほしいとおもったのでございます。・・などと、好き勝手言って済みません。でもこうした妄想を語りたくなるくらいに、魅力的でもあったということで。

 

というわけで、ポスターには、「手にするのは愛か破滅か」とありますが、とりあえず「愛一択で!」と答えたいところ。もう一回くらい見に行くかなあ。

 

そうそう、劇場で原作本が売ってましたが、PCやタブレットスマホキンドルなどで読める青空文庫で無料配布されてもおりますので。ビバ青空文庫

(リンクは以下)。

図書カード:ジーキル博士とハイド氏の怪事件