韓国ミュージカル「フランケンシュタイン」ロスから抜け出すために、マンガ『フランケンシュタイン』(伊藤潤二)を読む。
全世界20万人のミュージカル「フランケンシュタイン」ファンの皆さま、その後いかがお過ごしでしょうか。3月20日に韓国で千秋楽を迎えた本作品。DVDもOSTも出る気配すらありません。多くのかたがたが、チュンムアートホール(制作会社)に念を送られていることでしょうが、今のところ情報は皆無!なんと残酷な仕打ちでございましょう。しかしわたしたちは「フランケンシュタイン」の上演が終わっても生きていかねばなりません。ということで、フランケン・ロスを乗り切る方法を様々に模索してみたい。
そもそも、韓国創作ミュージカルである「フランケンシュタイン」では、すべてのキャラクターに美形化フィルターがかかっております。そもそもフランケンシュタイン博士の作り出す怪物がこんな具合ですからね。
(2015‐16キャストの怪物君たち。左からパク・ウンテ怪物、チェ・ウヒョク怪物、下がハン・チサン怪物)
(すでに「怪物」ではなかろう。)
そもそも、メアリー・シェリーの原作で怪物が望むのは、自分と同じような創造物である花嫁。韓国版「フランケン」では、怪物君たちはそのようなものは望みません。そんなあまずっぱい青年のような希望は持っていないというか。自分の誕生理由だけでいっぱいいっぱいなかんじ。なので望むのは創造主ビクター、ビクター・フランケンシュタインただ一人だけ。このあたりが、乙女たちをもやもや・メロメロ化させてしまうポイントでありましょう。やばくないかその執着、みたいな。
・・・ともあれ。
いま、フランケン・ロスを生きる私たちに必要なのは、この怪物を忘れることではなかろうか。あの美しい怪物たちを忘れてこそ、再び今を生きられるようになる。きっと。そこで、ミュージカル「フランケンシュタイン」の怪物妄想を打ち砕くべく投入するのがこちら。
鬼才のホラーマンガ家伊藤潤二による「フランケンシュタイン」です。
燃え上がった(萌えあがった?)魂を鎮める儀式のごとく、すんごく予想通りのフランケンシュタイン登場。包帯まきまきスタイルです。布を巻き付けたようなマントは来ておりますが、ロングコートなんか着てはおりません。基本包帯。これが元祖フランケンスタイルです。思い出せ。思い出すんだ。本来の怪物を!
(ロングコートの破壊力は大きいことについて言及した記事は以下)。
さて、作家の伊藤潤二さんはシュールすぎて「ギャグ?」とおもうことさえある作風で有名なホラーマンガ家。しかし、なめてかかっていたらめちゃめちゃ本気でコワイマンガにあたることもあるという、油断ならない御仁。その作家さんがメアリー・シェリーの原作をきっちりマンガ化したのが、「フランケンシュタイン」なのです。これ自体すごく読みごたえがあって素晴らしい。
もちろん、ヘンリー(アンリ)というビクターの「チング(友達)」キャラがでてきますが、彼の首が怪物の首になるというようなことはございません。途中で地味に怪物に殺されちゃいます。哀れヘンリー。
これを読んでいると、だんだん目が覚めていくのがわかる。世の中の「フランケンシュタイン」の怪物認識がもどってくるといいましょうか。そして、同書に掲載されている、異次元との境界にあるおうちに住む「押切君」シリーズなどをめくってしまいますと、まじ異次元行き。つかなんで君、そんなとこに住んでいるのですか。そしてなんでいつもそんな冷静なんすか「押切君」!。
押切君の魅力によって、すこしは心が癒されたでしょうか。でも、伊藤版「フランケンシュタイン」読んでて、気になったのがこれ。
(ビクターにクマを進める怪物の図:伊藤潤二『フランケンシュタイン』朝日新聞出版p281)
そいや、2幕、怪物とカトリーヌの会話で「クマ、オイシイ」という台詞がありましたね。確かにクマ食ってるよ。