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韓国ミュージカル「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ」(2016)から、ゴッホ兄弟の「ツボ」について考える

いまさらですが、1月末に韓国ミュージカル「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ」を見てまいりました。小西遼生さんもご覧になったというこの作品。どこかにいらっしゃったのでは、と妄想したりして。妄想は自由ですからね。・・さて、キャストはこのお2人。シンプルなキャストボードをご覧いただければわかる通り、これまた2人っきり一本勝負のミュージカルでございます。

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同じく2人キャストで上演されるタイプのミュージカル「ストーリーオブマイライフ」を見たときには、やたらホールスタッフの方々にトイレにいけ、トイレにはいきたくないか、もう出られないよとりあえず行っておけ、と強く勧められたのですが。ここではそんなに脅迫的に推奨されることはなかったな、と。

 

 (トイレに行くことを強く勧められて見た2人系ミュージカル作品、ストーリーオブマイライフの感想はこちら)。

pokos.hatenablog.com

 

さて、物語はテオ・ヴァン・ゴッホが亡き兄のために遺作展を準備しようとしているところから始まります。ヴィンセントとやり取りした手紙を整理しながら、彼との思い出をたどっていくという、回想形式。ヴィンセント役の俳優さんはずっとヴィンセントなのですが、テオ役の役者さんは、物語の進行上、父、美術アカデミーの先生、ゴーギャンを演じます。

 

基本的に物語は、ゴッホの父との葛藤、トラウマと絵を描くことの苦しみ、それを見守り支える弟という構図で進んでいきます。ヴィンセントの内面がプロジェクションマッピングで舞台に投影された映像とシンクロし、俳優さんの演技を後押ししたりするのが面白いのですが、基本、ゴッホは悩んでるし、テオは支えているという構図に変化はない。すでに知っているゴッホの生涯。物語が「わかっている範囲」をこえることがないのです。二人の俳優さんの演技はすばらしいし、歌もよい。でもいまいちパンチが足りないと思ってしまったのは、物語それ自体に、2人の関係が生み出す緊張感のようなものが織り込まれていないからではなかろうか、と思い至りました。

 

ゴッホ兄弟といって思い浮かぶ作品があります。それがこちら。マンガ『さよならソルシエ』です。

さよならソルシエ 1 (フラワーコミックスアルファ)

さよならソルシエ 1 (フラワーコミックスアルファ)

 

 この作品はヴィンセントをプロデュースしていく画商テオに焦点を当てています。しかも「炎の画家」として、精神的な苦難と貧困に耐えてなお絵にむきあったヴィンセントの存在そのものを、お話の「ネタ」に据えるという仕込み満載の物語。ヴィンセントは本当に「苦悩の末に絵を描いていたのか」。このこと自体が問い返されます。詳細は読んでいただく方がよろしいかと思いますのでこのあたりでお茶をにごしておきますが。もにょもにょ。

ゴッホファンには批判されることも少なくないこのマンガ、私はこの作品の、まさに「マンガらしい」想像力が好きだったりします。けっこう、ハチャメチャな展開で「まじっすか!」という感じ。しかし、「そうくるのか!」という流れにもかかわらず、それが「マンガとして」納得できてしまうのは、テオが兄に対して抱いているコンプレクスや葛藤がきっちり書き込まれているためです。テオの感情やヴィンセントへの愛が丁寧にえがかれるからこそ、『さよならソルシエ』は、ヴィンセントの物語というよりは、ゴッホ兄弟の物語として魅力的に仕上がっているのです。まさに、2人の関係性が、この作品を支えているといいましょうか。ゴッホ「兄弟」を語るなら、こういうひねりが欲しいというべきか。

 

ひるがえって、ミュージカル「ヴィンセント・ファン・ゴッホ」では、テオがなんだかいい人すぎやしないか、というか、影が薄すぎやしないかね、と思えてくる。特に後半になるとヴィンセントの一人芝居のようにさえ思えてくるのです。むしろビンセントのゴーギャンへの執着が描かれるシーンのほうが「おお!」と思えてしまうのは、やはり残念。

 

ということで、二人ミュージカルとは、二人の関係性が劇中でいかに変化しうるか、というのがとても重要なポイントなんだよな、とあらためて思わされた作品でした。ゴッホ兄弟には、もっとからんでほしかったのよ!でも、歌はすごくよかったよー。

 

ちなみに、マンガ『さよならソルシエ』もミュージカルになっておりますね(日本で)。

www.marv.jp