「フランケンシュタイン」のビジュアル効果について考えてみた

ミュージカル「フランケンシュタイン」は非常によくできたミュージカルだと思うのですが、その「よくでき」加減の一つにビジュアル化のうまさというのがある気がします。様々にばらまかれるイメージ画像や動画に、いい感じにツボが押されて、観劇の余韻は長引き、病が悪化するような効果をもたらしているといいましょうか。

 

たとえば、これが・・

ハン・チサン

こういうことですね。

12-2 KJH7

 (ハン・チサン怪物)

 

もちろん俳優さんたちはもともとみなさん男前です。しかし、舞台上ではその土台に、「怪物」とか「ビクター」といったキャラクターの魅力、それぞれの演技によって付加される解釈の魅力、そして歌唱力が生み出す魅力魅力魅力魅力きゃーっ!、・・・えーっとなんでしたっけ、と我を失わせるような魅力が積み重なって、想像を超えたなにものかが出現しています。舞台上で完成された、役者と役柄が一体となって放つなんかよくわからないオーラみたいなものは、舞台をおりた俳優さんの魅力とは必ずしも一致しない。それはまた別種の萌え(?)をひきおこすものにすぎないのです。

 

この、舞台上の「なにものか」を、舞台におけるあの瞬間とは別に表現するためには、単に舞台写真を撮ればよいわけではない。韓国ミュージカル界では、それがよくわかっているなあ、と思わずにはいられません。「フランケンシュタイン」のポスターやティーザー広告でお披露目されるビジュアルは、舞台の上に存在していた「なにか」をうまく二次元に落とし込んでいる。色使いや質感を調整することで、舞台が表現しようとしているものをうまく取り込んでいるのです。

 

ではこの「なにか」とはなんなのか。誰に頼まれたわけでもないのですが、これを考えてみたい。

 

俳優さんは三次元の実物(?)ですが、舞台上の「なにものか」は三次元の人間がそこで動いているというだけではなく、彼らが演技し・歌うことで目の前の舞台装置に限定されない「世界」が広がる。フランケンシュタインであれば、科学的なものが魔術的要素を含みつつもその「科学っぽさ」を主張し始めた世界のイメージ。戦争の血なまぐささと、「怪物」と「ビクター」の心理を体現するような、最後の北極のシーンの荒涼とした風景。

 

つまりこの「世界」を感じさせるよう人物を表現することに、重要な鍵があるのではないでしょうか。フランシュタインで公開されているキャラクターたちは、その世界を担ったビジュアルで私たちの目の前に登場するからこそ、見た人たちは俳優さんのファンになるだけではなく、その世界に住まう「彼ら」のファンになってしまうような気がするのでした。

 

なのでこれらの画像や映像、観劇前より観劇後のほうが殺傷力が高まる気がするのですが。いかがでしょうか?


뮤지컬 프랑켄슈타인 캐릭터 트레일러 - 괴물 박은태 편