ミュージカル「フランケンシュタイン」にメロメロ その1

多くの人を韓国ミュージカル沼に突き落とし、これからも落とし続けることになるであろうキラーコンテンツ(まさに殺傷能力マックス)。それが創作ミュージカル「フランケンシュタイン」ではないでしょうか。いやあもうそれ、違反だよ、というくらいの盛り上がり要素がてんこ盛りですが。なんといっても

 

1)キャストがすばらしすぎて、どの組み合わせで見てもはずれがない。

2)というかすべての組み合わせを見ずにはおれなくさせる。

3)音楽が常にハイテンションで、一気に心を持っていかれる。

4)結果、言葉がわかってもわからなくても、なんかものすごく感動する。

 

わけです。いや、まだまだあげきれないくらい魅力にあふれておりますが。今回は特にこの、1、そして特に2について考えてみたいと思います。そんなに分けて考える必要があるのか、といわれると困るのですが。

 

多くのかたがたがフランケンシュタインの観劇後記にて、「怪物」や「アンリ」、「ビクター」がどう演じられたのかと同時に、「アンリ」「ビクター」をどの組み合わせで見たか、その組み合わせの妙とはいかなるものであったのかに言及されています。そして私の場合、自分の見たペアの感動をこうした観劇記録をもとに脳内再生し、ぐふふふふ、と一人ほくそ笑むとともに、見られなかったペアのすばらしさに思いをはせてじたばたしたりしております。

 

そして改めて、この作品の魅力が、それぞれのキャラクターという以上に、二人の男性の友情と、それゆえ生まれてしまった葛藤と衝突という「関係性」を描くことにあるのだということに気づかされるわけです。

 

主人公級の二人の男性が強い絆で結ばれ、時に対立し、お互いのかけがえのなさを認識していくような物語は、これまでにも数多く描かれてきました。昭和残侠伝シリーズの健さんと池部良のように(古すぎる?)、あるいは少年漫画『NARUTO』のナルトと我愛羅のように。・・例が偏っておりますが。

 

フランケンシュタインも、基本的にはこうした「絆」を描く物語であるとは思うのですが、シンプルに『週間少年ジャンプ』のスローガンである「友情、努力、勝利!」みたいにならないのは、劇中で登場人物の「アンリ」が「怪物」へ「変身」するという要素が含まれているからではないでしょうか。

 

これによって、観客は「怪物」の中に「アンリ」を探し、かつてのアンリとビクターとの関係をもとに「怪物」の葛藤を読み込むこともできるし、逆に「怪物」はすでにアンリではないにもかかわらず、それを「アンリ」と呼ばずにいられない、ビクターのアンリへの想いを深読みすることもできる。つまり、アンリとビクターという二人の登場人物の関係性をえがきつつも、そこに「怪物」という存在が介在することで、アンリ・ビクター・怪物という、なんか三角関係のようなものが浮かび上がってくる。と同時に、それぞれの登場人物の内面の深度が一気に増すことになります。

 

これは解釈の余地マックス技法、行間を読めば読むほどセツナサ度はアップするしかない!

 

実際、パク・ウンテさんのアンリなどを見ると、「怪物」の中にもアンリはいるよ!という感じがしてくるわけです。ビクターによっては、怪物に隠れた「アンリ」に気づかないように感じられる。気づいてあげてー!と叫ばずにはいられません。

 

となると、ほかの俳優さんの「組み合わせ」だとどうなんすか、ウンテ・アンリの孤独をわかってくれるビクターはいないんですか。いやいるはずだ、ビクター3人もいるんだから、とか思ってしまうわけです。企画側の思うツボですな。

 

このようにして、フランケンシュタインにメロメロであり続ける期間は、どんどん長引くことになるのでした。もう一回くらい見に行きたいなあ・・。